フリーフォール14 ジョセフ・E・スティグリッツ



政府が銀行に公的資金を注入したとき、その金は史上最高水準のボーナスに使われてしまった
金融大手9社は合計で1000億ドルの損失を計上し、TARP(不良資産救済プログラム)を通じて1750億ドルの支援を受け取り、およそ330億ドルをボーナスとして支給した(約5000人の社員に支払われた一人あたり100万ドル以上のボーナスを含む)
残りの額は、配当として支払われた

歴史を振り返ってみれば、銀行が他人の金を使って過剰なリスクテークにいそしみ、返済不可能な人々にたんまりと金を貸し込んだ例は、枚挙にいとまがない
無謀な貸付が住宅バブルを生み出す例も枚挙にいとまがない
だからこそ、銀行には規制がかけられているのだ

ここ100年間の歴史の中では、何度も銀行の取り付け騒ぎが繰り返されてきた
世界大恐慌の真っ只中の1933年、政府はようやく行動を起こし、連邦預金保険公社(FDIC)を創設した
預金を保証したのだ
預金保険を提供する以上、政府は銀行が過剰なリスクを取らないよう、規制を行った
発行したローンは保有し続けるしかないのだから、銀行は慎重に行動しなくてはならない
借り手に確実に返済させるというのが、当時の銀行のインセンティブだった
そのためには、借り手の収入を確かめ、返済のインセンティブをあたえる必要があった
ノンリコース型ローン(担保資産以外の債務返済義務がない)が主流のアメリカでは、含み損を抱える住宅ローンは債務不履行率が高まるという点を銀行家は正しく理解していた
ノンリコース型ローンの借り手は、最悪の場合でも自宅を返納すればよく、貸し手はそれ以上の支払い要求はできない

世界はしばしば不動産バブルの発生と崩壊を経験し、世界中の世界中の銀行には繰り返し救済の手がさしのべられてきた
そういう状況にならなかったのは、厳しい規制が効果的に施行された第二次大戦後の四半世紀だけだ

政府が支援する預金保険の存在は、銀行を乱脈融資や過剰なリスクテークに駆り立てたと言えるかもしれない
預金保険とは、銀行が賭けに負けたときは政府が代わりに支払い、勝ったときは儲けが銀行のものになるという制度だ
モラルハザードの典型例といっていい


銀行ではリスク管理モデルが使用されていた
モデルを使った予測の精度はモデルの初期値の精度に左右される
例えば、住宅価格の下落率の予測値が間違っていれば、モデルから生まれる結論は全て間違ってしまうのだ

銀行はみずから売買する金融商品のリスクだけでなく、自社の総合リスクを判断する際にも、これらのモデルに依存した
彼らは金融工学を駆使すれば、資本を最大限に有効活用できると信じていた
規制の範囲内で最大限のリスクを取れると
皮肉にも、金融資本を最大限に有効活用する試みは、危機の拡大に貢献してしまい、結果として実物資本(物的資本と人的資本)の有効活用を大きく阻害することとなった


昔と現代の銀行業との間には、重要な違いがもう一つある
収益を稼ぎ出す方法論だ
昔の銀行の主要な収益源は融資先から受け取る利子と預金者に支払う利子の差額だった
多くの場合、この金利差はとても大きく、普通の商業銀行は法外とはいわないまでも充分な利益をあげてきた
しかし、規制が緩められ、銀行業の風土が変化すると、彼らは収益を稼ぎ出す新しい方法を模索しはじめた
見つかった答えは、手数料だ

イノベーションを駆使して開発された新しい住宅ローン商品の大半には、重大な共通点がある
ローンの借り手のリスク管理には役立たない一方、リスクを銀行から可能な限り遠ざけ、可能な限り多くの手数料を発生させるという点だ
また融資とリスクテークが制限されそうな場合には、必要に応じて規制と会計基準を迂回する仕組みも埋め込まれていた
リスク管理に役立つイノベーションは使い方を誤れば、リスクを拡大させる恐れがあった
新しいイノベーションの中には、規制を逃れる目的で使われるものや、リスクをバランスシート上からはずし、何が起こっているのかを隠す目的で使われるものもあった
イノベーションは経済の実態を複雑かつ難解にしてしまった

たとえ規制当局が本来の仕事をしたいと思ったとしても、また、経済の安定性を維持するには規制が必要だと信じていたとしても、務めを果たすことはますます難しくなっていたのだった


「100パーセント住宅ローン」
このローンの契約者は銀行から住宅価格の100パーセントもしくはそれ以上の金額を借りることが出来る
リコース型の場合、自宅の資産価格が上がった場合、住宅所有者は差額をポケットに入れられる
資産価格が下がった場合でも、住宅所有者にはなんの損もなく、自宅の鍵を債権者に渡し、好きなときに出ていくだけでいい
この条件のもとでは、住宅が大きければ大きいほど、借り手の潜在的な儲けは大きくなる
だから借り手は返済可能額を超える高価な家を買う誘惑に駆られた
他方、ローンが返済されてもされなくても手数料を受け取れる銀行と住宅ローン会社には、借り手の不品行を止めようというインセンティブはほとんど働かなかった

ティーザー金利型ローン(当初は金利が低く設定されているが2、3年後には数倍に跳ね上がるローン)やバルーン型ローン(現在の低金利を活用する短期ローンだが、5年以内に借り換えを余儀なくされる)は、貸して側にきわめて都合がよい
なぜなら借り手は必然的に何度も借り換えを強いられ、借り換えを行うごとに手数料を支払わされるからだ

ティーザー金利型ローンの低金利期間が終わり、利払いが数倍に膨らんだとき、限度額いっぱいまで借金した住宅所有者は、返済に行き詰まる可能性がたかい
しかし、この不安は、口の上手い貸し手側に丸め込まれる
低金利が終わる頃には住宅価格は上昇しているはずなので、ローンを借り換えるには何の問題もない
余った金は、車を買ったり、バカンスに使ったりすればいい、と
借り手側が月々の返済額を決められる(月々の返済額を減らせる)住宅ローンもあった
本来の返済額との差額は元本に繰り入れていき最後にまとめて支払うのだ
この逆減価償却ローンでは、どんどんローン残高が膨らんでいくが、やはり貸し手は「心配は無用だ」と説明した
元本が増えていっても住宅価格がそれ以上に上がるはずだから、結果として財産が増えることになる、と
規制当局と投資家は、100パーセント住宅ローンだけでなく、住宅所有者を借金漬けにして借り換えを繰り返させるような住宅ローンにも疑念の目を向けるべきだった

新商品の中でも特に異彩を放っていたのが、収入の証明を必要としない「うそつくローン」だ
多くの場合、借り手は収入を過大申告するようにそそのかされるが、金融機関の担当者が勝手に過大申告を行ない、借り手が最終決済までミスに気付かない場合もあった
他のイノベーションと同様、このうそつきローンのモットーも「家が大きければ大きいほど、ローン総額は大きくなり、手数料も大きくなる」だった

これらの革新的住宅ローンには、複数の欠陥があった
第一の欠陥は、住宅価格が今までどおりのペースで上昇を続け、ローンの借り換えがつつがなく進むという前提だ
これは経済学上、不可能に近い

第二の欠陥は、特定の住宅ローンが借り換えの時期を迎えたとき、銀行が喜んで借り換えに応じるという前提だ
もちろん銀行は応じるかもしれないが、応じない可能性も考えられる
金利の上昇、信用市場の逼迫、失業率の上昇
これらの要素は、借り換えを求めるローン契約者にとって阻害要因となりうる

たとえば、失業率の急上昇により、一度に大勢の人々が自宅の売却を余儀なくされた場合、住宅価格が暴落してバブルは崩壊するだろう
貸し手が100パーセント住宅ローンを発行していたら(もしくは逆減価償却の結果、ローン残高が100パーセントに達していたら)、住宅を売却してローンを完済する方法は選べない
返済能力に見合う小さな家に引っ越すこともできず、残された道は債務不履行のみとなる

過剰なリスクテークから国を守る立場にあったグリーンスパンFRB議長は、逆に過剰なリスクテークを奨励した
2004年悪名高きスピーチで、こう述べている
「変動金利型住宅ローンを借りた人々(住宅所有者)は、過去10年間で、固定金利型を選んだ人々よりも数万ドルの節約をしたことになるだろう」
これまで大多数のアメリカ人は、固定金利型の長期住宅ローン(20〜30年満期)を借り、満期まで一定額の返済を行なってきた
この選択には大きな長所があった
ローン返済額が決まっているので、計画的に家計をやりくりできるのだ
しかし、グリーンスパンは全く違う助言をした

2003年グリーンスパンは金利を1パーセントまで引き下げるという前代未聞の行動に出た
しかし、1パーセントの金利がこの先動くとしたら、方向は一つだけ、上しかない

2003年に1パーセントだった短期金利は、2006年には5.25パーセントまで上昇したのだった

貸し手の口車に乗せられ、限度額ギリギリまで住宅ローンを設定した人々は、突然、収入の範囲内ではまかないきれない返済額を突き付けられた
自宅を売ろうにも、住宅価格は暴落中
100パーセント住宅ローンの借り手にとってこの状況は、借り換えができないことと、負債を返済できないことと、自宅に住み続けられなくなることを意味した
住宅価格が下落するにつれ、苦境は90パーセントローンの借り手を飲み込み、80パーセントローンの借り手にも及んだ

数百万人にとって唯一の選択肢は住宅ローンの債務不履行になってしまった

トルコのような国々は変動金利型住宅ローンを認めていない
イギリスでは変動金利型住宅ローンの多くが今でも月々の返済額を変えず、借り手は債務不履行に追い込まれていない
銀行が返済期間を延長することで、支払いの額を固定している
しかし、ローン残高が資産価値の100パーセントに達し、借り手が金利の支払いをすでに滞らせている状況では、イギリスの方式を使えないことは明白だ

住宅ローンの新商品には、様々なイノベーションの組み合わせ、例えば逆減価償却ローン、100パーセントローンとうそつきローンが導入されたため、潜在的な破壊力はきわめて高くなっていた
銀行がゆるす範囲内で最大限のノンリコース型ローンを組んだ契約者は、債務不履行を起こしても自宅を返納すればすんだ
一方、住宅ローンの発行元は、総額が大きいほど高い手数料を得られる上、通常は債務不履行のリスクを誰かに押し付けていた
結果として両者の間には、世にも奇妙なインセンティブの一致が見られた
両者はリスクを負わずにすむ最大の住宅と最大の住宅ローンを望んだ