フリーフォール20 ジョセフ・E・スティグリッツ



破産処理は資本主義に欠かせない要素だ

アメリカには、企業に再出発させるためのきわめて効果的な手法が備わっている
すなわちチャプターイレブンだ
航空会社を例に説明すると、チャプターイレブンの適用を受けた航空会社は、雇用と資産を守り、営業も継続することができる
通常、株主は全ての権利を失い、社債保有者が新たな株主となるが、負債という重荷から解き放たれた会社は刷新された経営体制の元で飛行機を飛ばし続けられるのだ

銀行が他の企業と違うのは、預金保険という形で政府が利害を持っている点だろう
政府は預金を保証することによって金融システムの安定性を保ち、ひいては経済の安定性を保とうとしている
しかし、いったんトラブルが発生してしまうと、基本的には銀行も一般企業と同じ手続き(株主の権利を消失させ、社債保有者を新株主とする)をとらなければならない
社債に十分な価値があるなら、この手続きだけで十分だ

例えば、アメリカ最大の銀行シティバンクは、資産2兆ドルに対して3500億ドル分の長期社債を発行していた
破綻となると、株式配当を支払わなくてすむ上に、社債が株式に転換されるので、社債に対する莫大な金利も不要となる
これなら銀行の経営はかなり楽になるはずだ

しかし、資産総額が預金総額を下回ってしまうこともある
そうなると、政府は預金者との約束を守るべく行動に出なければならない
実質的に国が銀行のオーナーとなる
もちろん引き受け手を探し、可能な限り早く売却することが前提となる
破産した銀行は債務超過に陥っているので、政府はたいていの場合、バランスシート上の穴を補填しなければならない
このプロセスは、管財措置 と呼ばれる

ふさわしい求婚者がすぐに現れないときは、しばらく政府が銀行を経営する場合もある

管財措置に反対する者たちは、この伝統的手法を国有化と揶揄する
しかし、最終手段としての一時国有化の可能性を含む管財措置は、由緒正しき手法といってよく、政府から銀行への巨額贈与こそが前代未聞の出来事なのだ
国有化された銀行はやがて必ず売却される

長い経験が教えてくれるのは、破綻リスクに直面している銀行の経営者は、納税者の負担増のリスクを高める行動に没頭するという事実だ
例えば、銀行は大きな賭けに出ようとするだろう
賭けに勝ったときは、利益を自分のものにすればいい
賭けに負けたとしても、なんの問題がある?
どうせなにもしなくても破滅する
こういう事態を防ぐため、銀行の資本が縮小した場合には、営業停止措置もしくは管財措置を取るよう法律は定めている
銀行の監督機関は全ての金がなくなるまで待ったりはしない

規制当局はキャッシュ不足を察知すると、その銀行に資本増強を勧告し、状況の改善がみられなければ、いまのべたような措置をとる

危機が勢いを増していた2008年当時、政府は資本主義のルールに従って財務リストラを強行すべきだった
財務リストラは、再出発の機会を与えることであり、世界の終わりを意味するわけではない
政府が銀行の財務リストラを一時国有化という方法で強行していれば、納税者の金はほとんど必要なかったかもしれないし、それ以上の政府の関与は必要なかったかもしれない

財務リストラは銀行の企業価値を増大させる
なぜなら、破産の危険性を低下させることによって破産手続きの高額な取引コストを節約出来る上に、継続中の事業の価値を温存できるからだ

株主が一掃されて社債保有者が新オーナーになると、社債保有者の長期的展望は、銀行が中途半端な状態(生き残れるかどうかも政府からの施しの規模や条件がどうなるかもわからない状態)に置かれているときより向上する

オバマ政権は大銀行を「大きすぎて潰せない」と説明しただけでなく、「大きすぎて財務リストラができない」「大きすぎて資本主義の基本ルールが適用できない」と評した
「大きすぎて財務リストラができない」ということは、その銀行が破綻の瀬戸際まで追い込まれた場合、税金の投入以外に解決策がないことを意味する

「大きすぎて財務リストラができない」との理由で公的資金が投入されるなら、金融機関の社債保有者は政府保証を受けているに等しい

政府保証がない中小ライバル銀行の犠牲のもとに大銀行がさらに肥え太っていく
結果として金融セクターではみるみる寡占化が進むだろう

大きすぎて財務リストラができない銀行をめぐる議論は、人間の恐怖心を利用した謀略であると、私は本気で考えている

リーマンを救済していれば、今回の危機が回避できたという説は、全くのナンセンスだ
リーマンが救済されようとされまいと、世界経済は難局に向かって突き進んでいた
危機前の世界経済を支えていたのは、バブルと過剰借入だ

AIGに投入された公的資金の総額は1800億ドルにまで膨らんだ


銀行は信頼と流動性の問題が解決すれば危機は収まるという話がさも真実であるかのようにふるまおうとした
流動性の不足は、誰も金を貸したがらないことを意味した
各銀行は自行の本当の資産価値は借入(負債)を上回っていることを信じたがった
しかし、各銀行は自分に都合のいい信念を持ちながら、他の銀行のことは信じようとしなかった
資金を融通しあわなくなったのがその証拠だ

2009年10月、IMFは金融セクターの損失が3兆6000億ドルにのぼると発表した


■経済原則
第一の経済原則は、「質量保存の原則」だ
政府が不良資産を買い取っても損失そのものが消え去るわけではない
シティバンクの損失に政府保証がついても、損失は厳然として存在しつづけている
では、誰が損失を負担するのか?
ゼロサムの世界では銀行の株主や社債保有者にとって有利な取引は納税者にとって不利な取引を意味する
不良資産を買い取るプログラムの一番の問題点はここにある
所有権と効率性とルール遵守の観点から考えると浄化のコストは銀行に負担させる必要がある(現在もしきは将来、税金の形で支払わせればいいだろう)
銀行に税金を課せば(悪い外部効果に課税するばあいと同じく)経済効率性の向上と政府の歳入増を同時に達成できる
貯蓄や労働などのよいものに課税するよりはずっと理にかなっている
銀行はこう反論するだろう
課税によるコスト増は、民間からの資金調達を妨げ、金融システムの健全性回復の足を引っ張ると。
しかし、銀行にコストを負担させないと経済全体が歪んでしまう
何度も強調してきた通り、問題はインセンティブにある
銀行救済は必然的にインセンティブを歪ませる
過ちの結果を100%背負わなくてすむかもしれないと知っている貸し手は、おざなりな信用評価を行い、より高リスクの住宅ローンを発行する
これこそが、「モラルハザード」である
救済をするごとに次の救済の可能性が高まる、という恐れはすでに実証されたといっていいだろう
政府の救済手法は、さらにインセンティブを歪めた
この歪みが景気後退を深刻化させた可能性さえある
例をあげると、政府が損失を補填してくれるシティバンクのような銀行は住宅ローンを再編成するインセンティブを持たない
再編成を先送りすれば、可能性は低いものの、ローン債権の価値が元通りになり、全ての利益を独り占めできるかもしれない
先送りの結果として、損失が拡大しても、コストは全部政府が負担してくれる
銀行と銀行の重役は、政府から資金を引き出し、可能な限り多くの配当とボーナスを支出する、というインセンティブを持っていた
もちろん、公的資金注入の目的が資本増強と貸し渋り解消であることも、彼らは知っていた
目的と違う使い方をすれば、銀行の体力が弱まり、国民の怒りを買うことも知っていた
彼らは銀行の将来に危機感をおぼえ、未来の利益より現在の利益を優先したのだ

無視された第二の経済原則は、「過去は過去、常に前向きな姿勢を」の原則だ
どうせ7000億ドルを支出するねなら、無能さをさらけだした既存の銀行を救うのではなく、優良経営を行う健全な小数の銀行に投資をしたり、いくつか新銀行を設立したりすればいい
従来のアメリカ政府の戦略とは、リスク評価と信用評価で無能さを証明した銀行に、不良資産の買い取りや追加資金注入を行ったあと、再び貸し出しを活性化してくれることと、危機前よりもましな仕事をしてくれることを祈る、というものだった
しかし、真のイノベーションを駆使した前向きな戦略をとれば、従来よりも貸出を増加させられる上に従来よりも国民負担を減少させられるだろう

第三の経済原則は、「資金は景気刺激効果が最も高い分野に狙いを定めて振り向けなければならない」という原則だ
資金が限られている以上は、1ドル1ドルが適切に使われるよう手段を講じる必要がある
TARPが貸し渋りに繋がらなかった理由の一つは、ほとんどの資金が大銀行に注ぎ込まれたことだ
大手の銀行は何年も前に、ビジネスの主眼を中小企業向け融資から転じてしまっていた
TARPの最終目標が雇用の創出・維持なら、雇用の源である中小企業にこそ、資金を投入すべきで、中小企業に資金を行き渡らせたいなら、大銀行ではなく小規模銀行や地方銀行に金を注入すべきだったのである
とりわけ、愚かなのが、AIGの救済だ
当時は救済しないとクレジットデフォルトスワップの契約先企業にも問題が波及する、という議論があった
しかし、契約先の保護が重要ならAIGに札束を与えるのは、手法としていかにもお粗末だ
オバマ、ブッシュ政権は、トリクルダウン経済を取り入れ、AIGに充分な金を与えれば必要なところまでしたたり落ちていくと考えた
保険会社と年金基金を救うにしても、トリクルダウン経済を採用するのではなく、必要な資金を必要な場所に直接届ける手法を採用すべきだ
年金基金に1ドルを届けるために上流の投資家を20ドルで救済するなどというやり方は、どんな理由をつけても許されるものではない

無視された経済原則の最後は、「救済は、金融システムが本来果たすべき機能を向上させるための再編成に貢献しなければならない」という原則だ
救済資金は偏って振り分けられ、新規の企業や中小企業の事業拡大をうながす分野にはほとんど回らなかった
銀行救済の手法が金融セクターの寡占化を招き、「大きすぎて潰せない」という問題や「大きすぎて変身できない」という問題を深刻化させたことも指摘してきたとおりだ
今回の救済劇と1980年代から2000年代初頭にかけて繰り返し行われた救済は、銀行に対して力強いメッセージを送り続けてきた
つけは政府が払うことになるから、乱脈融資を心配する必要はない、と。
銀行救済の手法は、やるべきことのまさに正反対を行っていた
銀行に適切な規律を課し、思慮深い銀行に報賞を与え、過剰なリスクテークをした銀行を破綻させるべきなのに、最悪のリスク管理をしてきた銀行に、政府から最大の贈り物を与えてしまったのだ
オバマ政権は、利益を民営化して損失を公営化するという「えせ資本主義」をつくりだした