2011年11月

20110704 プレジデント

20110704 プレジデント

■堀江貴文
僕はお札やコインが存在することによる弊害って大きいと思うんです
お札やコイン自体に価値があると勘違いして、それを貯め込むことに執着してしまう
でも、お札やコインに何の価値もないんです
お金というのは信用のalias(別名)であって、とりあえず便利だからお金を使っているけど、やり取りしているのは広い意味の信用です
だから本当に貯めなくてはならないのは信用なんです
そして、信用さえ持っていれば、たとえお金を持っていなくても、いざとなったら打ち出の小槌を降るようにして、お金を作り出すことができるんです

刑務所を出たら、僕はノマドになろうと思っています
昔の中国の知識人たちは、各地の豪商の家を泊まり歩いて、知識を伝授したり芸術品をプレゼントしたやしながら、旅をしたというじゃないですか
そういうことって、インターネットやSNSが発達した現代で、再び可能になっているんじゃないかと思うんです
少なくとも僕なら、お金を一銭ももたずに旅ができると思う
なぜなら僕には信用があり、大勢のフォロワーがそんざいするからです


20110725 日経ビジネス

20110725 日経ビジネス


宅急便の生みの親である小倉昌男氏は生前、「経営者が理念ばかり言ってもはじまらない。社風を生むのは実践の継続だ」と語っていました

■原田泳幸 日本マクドナルドホールディングスCEO
これまでの内容と矛盾するように感じられるかもしれませんが「数字やデータだけでは答えは出ない」ということ
もっとはっきりいえば、リサーチデータで経営戦略を立てるな、と。
14歳以下の若者が減って、ご高齢の方が増える
そうすると、ボリュームのある商品よりもヘルシーで量が少ない商品の方が売れるんじゃないか
データだけを見れば、そんな答えが出るかもしれない
でも僕が選ぶのは、若者向けのボリュームハンバーガーです
実際にメガマックやクォーターパウンダーという商品を出して、いずれも大ヒットになりました
例えば、新商品としてコーヒーを出すに当たってマーケティングリサーチをかけるとします
「このコーヒーはおいしいですか」「はい」「販売が始まったらお買い上げいただけますか」「はい」こんな調査をして何%の顧客に高評価を得た
だからこの商品は売れますなんてことをやる
でも、僕に言わせれば、こんな調査じゃ本当の顧客心理はなにもわかりません
大事なのは、本当に顧客が求めているもの、顧客自身ひょっとしたらきづいていないかもしれない深層的なニーズを見抜くビジネス•インサイト、洞察です
知識や経験は、自分自身の中にある内なるチェンジリーダーシップを封じるバリアにもなります
できない理由をデータで証明するのは簡単です
先入観を捨てて、現場に足を運ぶ
そこで商売の匂いを嗅ぎ取る
その匂いを基に、新しい価値を生み出す方法を考えて、考え抜いて、これだというものができあがったら、あとは信じるんです
データはその成否を検証するためにあるものです

少子高齢化とか健康思考とか言われるときに、あえてボリューム満点のハンバーガーをぶつける
なぜか、と理由づけしろと言われればできますが、一番の理由は単純な話で驚かせたかったということです
消費者の心を引くために大事なのは、いい意味でお客さんの期待を裏切ること
驚かせることです

第一回で企業はらしさを逸脱してはいけないというお話をしました
マクドナルドらしさからそれない範囲であれば、どんどん新しいことにチャレンジしろと社員たちに伝えています
イノベーションは自己否定から始まると思っていますので
といっても、当然ながら、ただやみくもに驚かせればいいというわけではありません
消費者を驚かせるような新商品を出し、消費者の関心をぐいっと引き寄せて爆発的にヒットさせる
でも、それだけでは儲からない
消費者の認知を集めるために、大きなコストが掛かるからです
じゃあなぜ奇抜な新商品を生み出すのか
それは、その集客でキャッシュカウを育み続けるためです
爆発的なヒットはありませんが、確固たるブランドを持ち、広告宣伝のためのコストをかけずとも安定して売れ続ける商品
結果として、営業利益が高い商品
それがキャッシュカウです
うちの商品でいえば、ビッグマックがそれにあたります
僕はクォーターパウンダーを売り出すときに、マクドナルドという看板を掲げずにクォーターパウンダーとだけ掲げた店舗を作りました
この商品を出した目的がこの商品自体が生み出す粗利益を得ることにあるのでなく、潜在顧客をマクドナルドに誘引することにあったからです
普段あまりマクドナルドに足を運んでおられない方が、クォーターパウンダーという新商品の魅力で足を運ぶ
第一回にお話ししたように、QSCの水準を高めていれば、その新規顧客はマクドナルド、いいじゃないかと認知してくれて、また来訪してくれる
その顧客は、いつかキャッシュカウであるビッグマックを注文してくれます
そこできちんと利益が取れるわけです
つまり、極論すればビッグマックをどれだけ買ってもらえるかを指標として経営の舵取りをしていく、ということです
サイドメニューの開発、新デザインの店舗の出店、ドライブスルーの拡充、コーヒーの無料配布
様々な手を打ち続けていますが、いずれもビッグマックを買ってもらうためということもできるんです
カスタマーリテンションという考え方です
新たに獲得した顧客をどう維持し、その顧客からどう利益をうんでいくかを考える
驚かすことで新たな顧客を誘引する商品もあれば、マーケティングコストゼロで利益を生むキャッシュカウもある
この組み合わせの結果、メニュー全体でマージンを生み出す構造を目指します
どうやって消費者を驚かせてわくわくさせるかというサイコロジー(心理学)と、理詰めで考えて、その驚きを含めた顧客満足をマージンに変えていくサイエンス(科学)
経営には両方とも必要だと思います
売れたと売ったは違います
なんとしても売る
そのためにサイエンスとサイコロジーを駆使して、知恵を絞って新たな顧客価値を生み続ける
勝ち続けるための道はそれ以外無いと思います

■坂根正弘 コマツ会長
東日本大震災や津波は大変な国難をもたらしました
けれど、原子力発電所の問題やエネルギー問題を除けば
日本にとって新たな課題が出てきたわけではないと思います
原発の問題と従来の構造問題は、あきらかに分けて考える必要があります
日本の現状は、企業経営者にとって五重苦だとか六重苦だとかいわれています
高い法人税、円高、雇用問題、環境問題、そして今回浮上したエネルギー問題など、いろいろな課題があります
しかし根本的な問題は日本が成長しなくなったこと、デフレになったことです
コマツで言えば、国内の売上高は全体の15%、生産ベースでは国内が全体の50%です
50%の内訳は、15%が国内向けで、35%を輸出しています
輸出では隆々たる利益を生んでいますが、国内の収益は最悪です
デフレで各社が激しい競争に陥っています
まだ15%はあるのでやっていますが、今の調子で推移すればジリ貧になり、将来的には売り上げ比率が1ケタになるのは目に見えています
そうなったら、この国で頑張っていけるのか分かりません
ただし、幸いにしてアジアが成長しています
もう一度この国を造り直したら、再び成長させることができると思います
そのためにも、東京一極集中という国内問題を解決しなければなりません
コマツは、本社機能の一部を金沢に移しています
最初に移したのは購買部門で、数年ほど前のことです
これだけITが進歩しているので、どこにいても情報は自由に手に入れることができます
今年四月には教育•研修部門機能をうつしました
東京から地方にいろんな機能をシフトしなければいけません
東京が廃れることと、地方が活性化することの双方の影響を勘安すると、圧倒的にプラス面が大きくなります
そして今回、東北地方でそのチャレンジをせざるを得なくなったと思います
お金を使って東北を元の形に戻しても、ジリ貧の状態に変わりはありません
だから、ジリ貧でない状態に持って行くためにも、東北に道州制の橋頭堡を築き、復興庁を置いて中央にいる役人を相当数移すべきだと強く言いたい
一般企業も、工場だけではなく、本社機能の一部を移すのです
そうした動きが起きた時に初めて、この国は変わっていくのだと思います
今回は、最後のチャンスです
もし失敗したら、それこそ敗戦ですね
この機会に産業構造を変えなければなりません

何でもかんでもユーザーのいいなりになって作っていては、利益を生み出すことができません

二次産業だけではなく、一次産業も改革を進める大きなチャンスです
今回の大震災と津波は壊滅的な被害をもたらしました
土地の境界も判別できなくなりましたが、これを機に農業の大規模化を進める必要があるでしょう
漁業にしても、若者がどんどん入ってくるような魅力のある産業にすべきだと思います
そうしない限り、復活はあり得ません
東北の漁場があれほど豊かだったのは、山林からもたらされる滋養分が川を通じて海に流れこんでいるからです
だから、林業まで含めた農業と漁業の前向きで戦略的な復興策を練る必要があります
大事なのは、守るばかりでなく、攻めに転じることです
これまでのように一次産業を保護し続けていたら、なにひとつ打開できません
私がコマツに入社したころ、外資系企業の国内市場参入という事件が起きました
そうです、米キャタピラーが三菱重工と合弁会社を設立したのです
1963年当時、日本政府は国内産業を守るために、外資系企業の参入を制限していました
自動車や電機は国内企業がまだ弱いので参入を拒みましたが、建設機械だけは認めてしまったのです
コマツはこれで終わりだと言われました
当時のコマツの社長は、吉田茂内閣の時に厚生大臣を務めていた元政治家の河合良成さんでした
あるとき、河合さんは「もう守りは一切しない。攻撃あるのみだ」と宣言しました
「攻撃は最大の防御なり」という彼の言葉を今でも覚えています
結局、その戦いにコマツは勝つことになりますが、攻撃のない防御一辺倒というのはあり得ません
これまで一次産業はひたすら守られ続けてきましたが、たとえTPPがなくても、このままでは廃れていきます
今回、東北で攻めの一次産業に転換する最後のチャンスが到来したと重ねて主張したい

さて、日本企業が再び成長するには、新興国を中心にグローバル市場を積極的に開拓する必要があります
もっとも最近の中国市場に代表されるように多少の景気減速はありますが、中長期的には高度成長が続くでしょう
ここで中国市場について、私の見方をお話しします
あれだけ巨大な国が年率9〜10%伸びているわけですから、必ずオーバーシュートします
だこら、その都度、政府による調整が入るのは当然なわけです
2004年のときは一万ヶ所あった工事現場のうち6000万ヶ所をストップさせました
だから一気に仕事がなくなりました
コマツにはコムトラックスというシステムがあります
建機にGPSやセンサーを埋め込んでいて、稼働状況をリアルタイムに把握できます
2004年のときは建機が次々にとまるのがわかりました
今は建機の稼働時間が前年比で6〜8%落ちている程度です
建機の稼働時間は減っていますが、止まりはじめている状況にはないということです
これはバブルが弾けた状況とは違います
もし中国政府が2004年のときと同じようにバブルを退治しようとしたら、コマツは業界の中で1番最初にわかると思います
コムトラックスによってマーケットの状態が手に取るように把握できるなで、おのずと打つ手も分かるのです
現段階で言えるのは、こうした状態が半年ぐらい続いて、またリバウンドするということでしょう
基本的に2020年ぐらいまでまだまだ建機は必要とされます
幸いにして今、アメリカや欧州、日本も前年よりも販売額が伸びています
アメリカは五割もの伸びです
私の見方ではアメリカの二番底はないと思います
スピードは緩やかでもアメリカ経済は必ず戻るでしょう
日本では、復興需要が出てきています前年比で30%増です
これまでひどかった先進国が前年比3割から5割増なので、中国で半年この調子が続いてもうまく相殺できます
中国ではまだまだ建機が必要な時期がつづきます
中国がピークを迎えたあとは、インド市場が伸びてくると思います

中国市場でビジネスを拡大するには中国の優秀な若者を採用して、戦力にしなければなりません
その際、注意すべき点があります
中国の若者を理解することです
中国人はよく発展空間という言葉を使います
文字通り、今自分が取り組んでいる職場を通じて自分がどれだけ発展するのかということです
つまり、職場が発展空間を与えられるかどうかがポイントなのです

中国で、競争相手から社員をいっぱい引き抜かれます
ただし、私がいつもいっているのは、社員を引き抜かれる会社が引き抜く会社に負けるわけがないということです
辞めた社員が行った先の仕事は面白くないとか、自分の能力向上にはこの会社はダメ、コマツにいたほうがよかったという声が返ってくるようになりました
そうして、やめていく社員が少なくなってきたのです
一つ心がけていることがあります
それは、社員の待遇条件は常にトップレベルを維持することです
出来るだけコストをかけないといけないと考えています
中国の場合は、特に食にものすごく大事で、食堂の質に対して社員がプライドを持ったりします
仕事の後に使うシャワールームなどにもお金をかけます
決してケチったりはしません
昨年、日本のメーカーで一部ストライキが起きました
安い給料の問題もあるし、食堂の質を落としたことも原因だと思います

ダントツ経営という本を出しましたが、1番いいたいことは、コマツでないと困る度合いを高めようという言葉に集約されます
まさしくダントツ商品を出し続けていれば、コマツでないと困る度合いが高まるという意味です
競合が追いついてきても、次にコムトラックスのようなダントツなサービスを提供すれば、やはりコマツでないと困る度合いが高まります
最終的には、お客さんの仕事を見える化してあげて、一緒になって生産性を高めます
そこまでやらないとダントツにはならないと思います

■吉富学 一蘭社長
一蘭の本社ビルには図書室が設けられている
「うちの社員は知識労働者でなければいけないと思っているんです。会社はイノベーションを続けないと衰退していきます。そのアイデアを出す社員が、本を読むのは当然じゃないですかね」

今、吉富が理想とする企業像は、「自分がいつ死んでも回り続ける組織」だという
「企業理念は確かに私が作りました。でも、それに賛同するのなら、リーダーはだれでもいいんです。一蘭は私の所有物じゃないんです」

■川野幸夫 ヤオコー会長
熾烈な競争を生き残るには二つの要素が不可欠だと思います
まず、企業哲学をしっかり持つこと
もう一つは小売各社が何屋であるかはっきりさせることです
消費者のニーズが刻々と変わる中で、自分たちが磨くべき腕前はなにか
ヤオコーの武器は明確です
我々の強みは、店頭で働くパート勤務の女性たちの提案力です
同業者からはしばしばパート社員が生き生きと働いていると褒められますし、なぜ優秀なパート社員が多く集まるのかと聞かれます
ですが、我々はなにも特別な採用•教育システムを導入しているわけではありません
ただ、経営陣が、パート勤務の彼女たちをきちんと一人の人格として見ること
これに尽きるのです
日本の女性は総じて、非常に優秀です
彼女たちが働きやすい環境をいかにつくるか
これまで小売業だけでなく、あらゆる産業が解決すべき課題ではないでしょうか
給料が安いから雇っているのだと思われれば、給料分しか働いてくれません
経営者があなたの力を発揮してくださいとはっきり伝えて、パート勤務の人材をコストではなくキャリアとしてみる
これができれば、彼女たちは、額に汗して働くだけでなく、知恵や工夫といった創造性を発揮して、頭にも汗して働いてくれます
国の生産年齢人口が減って行く中で、彼女たちの力を生かさない手はありません
女性の力をいかせば、日本経済は必ず活性化します
国力が衰退しつつある今こそ、あらゆる業界で女性の力を再評価し、生かすべきです

ヤマダ電機の暴走4 立石泰則

ヤマダ電機の暴走4 立石泰則


読売新聞(2007年3月19日)
「ヤマダ電機の大阪市内の大型店舗で、店側が家電メーカー販売員「ヘルパー」に業務の指示•命令を行っていた問題で、大阪労働局は、職業安定法違反(労働者供給事業の禁止)と認定、この店舗と数社に対して是正指導した。店側は契約関係がなく、人件費も一切負担していないヘルパーを実質、管理下に置いて従事させており、その就労実態はメーカーからの違法な労働者供給にあたると判断した。」
関係者によると、大阪労働局が立ち入り検査した際、10社以上のメーカーのヘルパー計約200人が働いていた
同店の社員数(約270人)の約七割に相当するという
ラビワンなんばの社員数は公式には300名だから全体で500名が働いていたことになる
つまり、それだけの人員がラビワンなんばの運営には必要だとヤマダ電機では判断していたわけである
ラビワンなんばの運営は、ヘルパーなしでは一日も立っていられない構造になっていたのである

ヤマダ電機は家電量販店業界で初めて年間売上高が一兆円を突破し、業界トップを誇るとともに、高い収益率を達成している
ヤマダの高収益は、他の家電量販店と比べて販売管理費率を10%台前半に低く抑える徹底したローコスト経営から生まれてきていた
そして経費の中で最も高コストなのが人件費である
つまり人件費を可能な限り低く抑えることがローコスト経営の鉄則といえる
その意味では、店舗運営に必要な約500名の人員の40%にあたる約200名のヘルパーを社員同様に働かせ、しかも人件費を負担しないラビワンなんば方式は、ヤマダ電機が生み出した究極のローコスト経営と言えるだろう

もちろん、全国に自前の物流拠点を三カ所持ち、独自の物流インフラを構築するなど、ヤマダ電機が他の面でもローコスト化に努めてきたことは事実ではあるが、最も高コストである人件費をメーカー各社に負担させるラビワンなんば方式を例外とする十分な理由は、見当たらない
むしろ拡大路線の果てに辿りついたのが、違法なラビワン方式だったように思える

ヤマダ電機は急激な多店舗展開によって生じる慢性的な人材不足を解消できていたのであろうか
ラビワンなんばに詳しい地元家電業界の幹部
「山田社長は、ラビワンなんばをオープンされたとき、都市型店舗としてユーザーに生活提案や使い方提案をしたいという旨を話されました。たしかに売り場も一時はそういうことをやっていました。ところが、ヤマダさんにはそういうノウハウがありませんし、社員にもスキルがありませんから、なかなかモノにならないんですよ。例えば、オーディオの試聴コーナーがありますが、社員も音響メーカーから雇って配置をしています。でもそこで、試聴してみたいという感じでもなく、ただ置いてあるだけなんです。試聴したいとユーザーに思わせる展示や配置の仕方、それらを含んだノウハウがない、つまり人材育成が十分じゃないんです。なのに、ヤマダさんは次々と多店舗展開しますから、人材育成どころか人手がたらなくなるわけです」
ヤマダ電機では、多店舗展開による人材不足を、絶対的な本部主導よって補うとしているとも言える
しかし、テレビ会議と監視カメラによる詳細な指示、あるいは定番と呼ばれる品揃えと配置やレイアウトまで本部で決めてしまう中央集権的な手法では、現場の人材が育たないのもまた事実である
ある意味、ヤマダ電機は負のスパイラルに陥ってしまっているといえる
そしてそこからの脱出のためには、多店舗展開のスピードを緩めるか、あるいは強権的な本部主導による店舗運営を改めるなどの方策が必要と思われるが、そう簡単には踏み切れないお家の事情がヤマダ電機にはある
山田昇は、売上高にこだわる理由を「メーカーに仕入れ値や商品開発で発言権を持つには全体で二割のシェアが必要」(日刊工業新聞 2005年1月12日)

ある家電メーカーの関係者
メーカー側が値下げを拒否すると、ヤマダは、
「だったら、それ以外で何か対応してくれと言ってこられます。、、、。それが、ヘルパーの派遣や、、、または広告費や協賛金などの現金の提供の要求だったりするわけです」

ヤマダの理不尽な要求を改めさせられない最大の理由は、メーカー側の足並みが揃わない点である
「私たちは、他社と市場でシェア争いをする前に、家電量販店の売り場のシェア争いをしているのです」といったメーカー側の本音を取材中にしばしば耳にした
メーカー側には、売り場の良い場所に自社製品を置いて欲しい、そしてたくさん売って欲しいという気持ちがあるし、自社製品を他社製品よりも手厚く扱って欲しいという弱みもある
それゆえ、メーカー同士の団結よりも、売り場のシェア争いを優位に進めるためには、むしろ進んで量販店の無理な要求を呑んだり、逆にヘルパーの派遣を店側に提案するなど積極的にすり寄っていくメーカーの数も少なくない

ヤマダ電機は、売上高一兆円達成前後から販売管理費率は急増し、2004年3月期には販売管理費率は18%を超えてしまう
以後も、販売管理費率の増大傾向は
基本的に改められることはなかった
そして2007年3月期には販売管理費率は19.2%に達し、かつての高コスト体質にまであと一歩のところまできてしまっている
販管費の大部分は人件費である
出店ラッシュによって、売上高は急増したものの、同時に人件費も膨らんでいたのである
それゆえ、人件費を抑えながら、売場面積の拡大、多店舗展開を続けようとするなら、必然的に常駐ヘルパーと呼ばれる人件費のかからない社員が不可欠になるし、その増員をメーカーに要求し続けるしかない


わが国の家電市場は八兆円産業といわれるが、将来十兆円まで拡大したとして山田は、
「私は三割までいけるといっている。シェア三割、売上三兆です。」(東洋経済 2007年5月)
現在(2007年3月期)の二倍強である
たしかにヤマダ電機の急成長には目を見張るものがある
5000億を超えたのは2002年3月期、株式会社ヤマダ電機設立から19年後のことである
しかし次の5000億円は2005年3月、わずか三年である
そして次は2007年中で、さらに短縮されて二年での達成となる


2007年池袋にラビ池袋店をオープンさせた
2009年にはラビワン日本総本店をオープンさせた
池袋はビックカメラの牙城である
ある調査会社が、日本総本店オープンから二ヶ月後の歳末商戦真っ最中にどこから来店客が買い物に来たかを調べた
結果は、23区内からは46%、都内全体に広げても54%
県外では、埼玉から23%、次が神奈川の16%だった
この地域は、ヤマダ電機が郊外型店舗を積極的に展開してきたところである
わざわざ日本総本店にまで出向いているということである
つまり、本来なら地元のテックランドで購入する人がわざわざ池袋の日本総本店にまで出向いているということである
だから、池袋の市場規模は拡大するものの、攻め込んだ相手に勝てないのである

日本総本店は、アルコール、飲料水、医薬品、化粧品、菓子類の加工食品、ペット食品、おもちゃ、時計や財布などのブランド商品など家電とは関係のない商品の売り場になっている
たしかにそれまでの家電量販店の枠にとらわれない商品の売り場になっている
しかしこれでは、凋落しつつある何でも揃っているが、欲しいものがない百貨店と同じ道を歩むことになるのではないか
このような業務の多角化には、そのための組織や人員などコストを覚悟しなければならない
つまり、新たな経費が増えることを覚悟しなければならない
流通専門誌のベテラン記者は、「今のヤマダを見ていると、バブル期のダイエーや西友がダブって見える」という
「薄利多売の安売りで急成長してきたスーパーですが、価格が高くても売れるバブル期には、ダイエーや西友は、これからはコングロマーチャン(複合小売業)の時代といって、不動産や金融など高いリターンが見込まれる慣れないビジネスにのめり込んでいきました。しかしバブルの崩壊で経営が傾きます。だからといって、安売りの原点を忘れて高コスト化していた経営体質は容易には元に戻りませんでした」
ヤマダ電機もダイエーや西友の二の舞になる恐れがあるというのだ
今のヤマダ電機に必要なのは、専門性とローコスト経営の徹底化である

作家の村上龍は、カンブリア宮殿で、山田昇にインタビューしている
その村上が毎日新聞(2010年5月)のインタビューを受けた際、山田を印象深い経営社としてあげている

個人で電器店を経営していた時代を懐かしがる山田会長に「でも、あのころに戻りたいとは思わないでしょう?」と質問した
「懐かしいけど戻りたくないという答えを期待したが、戻りたいと言われてびっくりしたと振り返る」

この記事を読んだ時、松下幸之助の回想を思い出した
昭和40年代、講演したとき、
「私、これまでふりかえってみて、働きがいが本当にあったのは、4、50人の人間を使うていたとき。打てば響く経営といいますか、そこには金銭を超えた、心と心の繋がりで仕事が出来ますからな。正直なところ、大きくなった松下電器なんかやめて、昔の中小企業のころにかえってみたい」
そのあとも、機会のあるごとに幸之助は同じような趣旨のことを口にする
幸之助の言葉ではないが、仕事の面白さと会社が大きくなることとは、決して正比例するものではない


20111126 ジム ロジャーズ 講演

20111126 ジム ロジャーズ 講演

メモ。上手く聞き取れなかった部分もあるので間違ってるところあるかも

■今は70年代のよう
○商品
× 株

■それなのになぜ日本株
28年前、1983年の水準
みんなが日本株を諦めている
(こういうときこそチャンス)
今後も円高
(政府は歓迎していない。しかしそれは間違っている)
日本にお金が戻ってくる。損失を出して。金利が低いので商品、株にいく
アジア、中国に強気
19世紀はイギリス、20世紀はアメリカ、21世紀は中国の時代
アジアの興隆で最も恩恵を受ける。技術、資金がある
様々な問題の中で日本は安定している
ただし、10,20年後は悲観的

■日本のどの株を買っているか
インデックス投信
今は下がっているので、マイナス

■農業
ここ数十年悪かった
みんな高齢。日本は平均66歳。世界も50代とか
食品、食料価格は上がる

■ベビー系
有望
トミー、サンリオを持っている

■商品
貴金属、商品全般を持っている

投資するなら、
農産物>銀>金
最終的に全てに投資すると思う

金の調整はもう少し続く
11年も上がり続けた
さらに下がれば、もっと買いたい

■株
欧米、新興国の株は当分買わない
買うなら日本

■TPP
自由貿易はいいこと
一部被害を被るところも
全体ではメリットがある
TPPは賛成

■中国株
持っている。子供や孫のために。
中国の株はもっと下がると考えている
今は暴落のタイミングを待っている
今の局面では私は投資しない

■欧州
楽観的ではない
空売りした

■債券
どこも楽観できない
インフレが続く
仕事が債券なら転職を勧める

■日本の将来
三つの選択肢がある
子供をいっぱい産む
移民を受け入れる
生活水準を下げる
今のままなら生活水準を下げることになる

■インド
空売りした
いいことばかり、いわれているが楽観的ではない
債務比率が90%をこえている

■ミャンマー
アジアで最も有望
中国の1978年
大変豊富な天然資源
ミャンマーに投資できれば、40,50年他に投資しなくていいぐらい

今後、北朝鮮、スリランカも投資対象としてはいいのでは

■アメリカの大学
バブル
ハーバードなど多くの大学が資金難に陥る
長い間ひどい経営だった




ヤマダ電機の暴走3 立石泰則

ヤマダ電機の暴走3 立石泰則


上州戦争では既存の大手家電量販店が参戦したことから、安売り合戦はさらに熾烈さを増していった
家電量販店業界トップだった福岡のベスト電器、広島のダイイチ(現、デオデオ)、大阪の上新電機、東京からはビックカメラなどが、相次いで群馬県前橋市や高崎市などに出店攻勢を掛けてきたからである
ヤマダ電機はあくまでも徹底した激安価格で勝負する戦略を取った
ヤマダ電機は最終的に上州戦争を勝ち抜くが、この戦いを通じて社長の山田昇が改めて学んだことがあった
それは、価格がすべてというシンプルな現実であった
当時の山田をよく知る業界関係者は、山田の心境をこう推し測る
「山田社長は特にデオデオが許せなかったようです。当時、売上高がヤマダより四倍以上もあったデオデオが本社近くに1500平方メートルもの大型店舗を出したわけですから、ヤマダを本気で潰す気かと思ったようでした。、、最終的にデオデオが前橋から撤退しますから、ヤマダは勝ったわけです。」
デオデオとの熾烈な安売り合戦を通じて、山田昇は改めて「商売は価格がすべて」を認識させられたというのである

上州戦争と呼ばれるほど安売り合戦が過熱したのは、1995年前後から96年一杯ぐらいまでである
安売り合戦の敗者には、コジマ、ヤマダ、カトーデンキ販売、参戦した大手家電量販店などは含まれない
長引く平成不況の中でも、YKKの業績は軒並みアップしている
三社はいずれも増収増益を達成し、売上高に関しては年率30%を超える高成長を記録した
群馬県の商業統計調査によれば、1994年から1997年までの四年間に倒産もしくは転•廃業した家電量販店(ほとんどが町の電気屋)は百店舗にものぼっている
つまり上州戦争とは、赤裸々な資本主義、弱肉強食の社会を群馬県に再現して、強者が体力のない小さな電気店を潰して町の姿を変えただけの話でもある

その後のYKKの歩みは、きわめて対照的であった
ヤマダ電機とコジマは全国展開でしのぎを削ったものの、カトーデンキ販売は基本的に関東地区を動こうとしなかった
その理由をケーズホールディングスの
加藤修一は、こう説明する
「経営は経営者が交代しながら、つまりバトンタッチしながらずっと続くものです。終わりのない駅伝ですから、その途中で一位になっただけでは意味がないんですよ。、、ただ(ケーズデンキが売上高を伸ばしてきたのは、)この業界では、ある程度の成長は必要だったということです。そうでないと、メーカーさんに相手にされなくなりますから」
そして加藤は、具体的な数字を上げた
トップと売上高で三倍から三倍半の差までが、彼に取って無理をしないで追いかけるにはいいポジションで、一桁違えば、生き残るのは難しいというのである
ヤマダ電機同様、松下の系列店から家電量販店へと同じ道を歩むケーズデンキだが、その目的と方向性には天と地ほどの違いがある


当初、重電メーカー(日立製作所、東芝、三菱電機)の取り組みは、家電専業メーカーと比べてはるかに遅れていた
1955年(昭和30)当時、白黒テレビのシェアは、早川が24.5%、松下電器が16.9%、八欧が14.9%
それに対する重電メーカーは、東芝が9.8%、三菱電機が4.2%に過ぎず、日立と富士電機の二社はテレビの生産自体をまだ行っていなかった
電気洗濯機では、三洋電機が28%、松下電機が24.2%で続いている
逆に電気冷蔵庫は重電応用製品であることもあって、重電三社で93%を占める強さを示した
しかし家電市場における家電専業メーカーの優位は、そう長くは続かなかった

日立製作所、東芝、三菱電機の重電三社が豊富な資金力にモノを言わせて、設備の拡充と販売網の設備を本格化させたからである
重電三社は、大手企業としての資金力と組織力を活かして、家電部門の強化に成功した
1962年(昭和37年)の家電市場におけるメーカー別のシェア占有率をみると、トップは松下電器の24%だが、二位には東芝の18%、三位に日立の14%、四位に三菱電機の10%と重電三社が続き、上位を独占するまでになっている
五位には三洋電機の8.8%、六位に早川の5.1%、七位にビクターの3.5%、八位に八欧の3.5%、九位にソニーの3.3%と続いている
昭和30年代の家電ブームは、いわば家電専業メーカーと重電メーカーとの家電市場をめぐる激しいシェア争いがもたらしたものでもあった

ヤマダ電機の山田昇は、上州戦争を勝ち抜いた勢いのまま、本格的な全国展開を再開させた
関東以西を目指す南下政策は、まず名古屋を抱える中京地区から始まった
1997年(平成9年)ヤマダ電機は中京地区出店第一号として愛知県日進市にオープンさせた
ヤマダ電機は八木地区への二号出店から約二年後の2004年(平成16年)6月、ヤマダ電機はデオデオ本店から一キロも離れていない広島市内の繁華街にテックランド広島中央本店をオープンさせた
2007年時点で、広島中央本店の年間売上高は60億円程度を推移していると見られている
他方、デオデオ本店の年間売上高は157億円
約1000億円と言われる広島市内の家電市場で、デオデオの年間売上高は約450億円だから、半分近いシェアを占めていることになる
まさに、デオデオの圧倒的な強さである
地元で家電販売に携わる一人は、ヤマダ電機の苦戦をこう解説する「ヤマダさんは、価格と品揃えで勝てると思って広島に出店されたのでしょうが、、、。八木地区でヤマダさんが勝てなかったのもデオデオさんがもつブランド力の強さ、つまりデオデオで買っておけば大丈夫という安心感のせいだと思います。、、消費者にとって何が一番決め手になるかといえば、故障したらすぐに修理にきてくれるかということです。、、、」
広島の家電戦争が私たちに教えるのは、ヤマダ電機最大の武器安売りを持ってしても、勝てない市場が存在するという事実であるそして地方固有の事情や風土を考慮することなく、効率だけを追い求める本部主導という名の中央集権的なオペレーションシステムでは、本当の顧客ニーズはつかめないということだ


ヤマダ電機に詳しい専門紙の記者は、山田の考えについてこう言う
「東証一部に上場した頃だったと思いますが、山田社長はすべてのお客に100%のサービスなど提供出来ませんよ、コストが掛かりますから。客の上限と下限を省いたマーケットを対象にして、そのニーズに合わせたサービスを必要最小限で提供するのがヤマダですという趣旨のことをよく話されていました。家電量販店の基本は品揃えがヤマダ社長の口癖ですから、ヤマダ電機は最大公約数の消費者を対象とし、彼らのニーズに応える品揃えや価格などのサービスを提供する。つまり少数の顧客のニーズは対象としないということです」
家電量販店業界では、売れ筋商品は取扱商品全体の約30%しかないものの、売り上げ全体の約70%を占めると言われる
その30%を見極めることが、家電販売では肝要なのである
その見極めにヤマダ電機では同業他社に先駆けて1986年(昭和61年)に導入したPOSシステムが活躍している
販売実績の情報は、店や本部に集められる
POSシステムの最大の魅力は売れ筋商品を瞬時に集計分析することにあるともいえる
だが、同時にPOSは、売れ筋から外れたと判断されれば、すぐさま売り場からその商品が消えるという問題、つまり消費者の広範な選択肢を奪うことになりかねない一面を持っている
それゆえ、ヤマダ電機の各店舗は、概ね売れ筋商品には強いが、それから外れた商品にはすぐに対処できないという弱点を共有しているといえる
自称電気オタク「ヤマダへいってなければ、ヨドバシへ行きます。最初にヨドバシへ行ってなければ、ヤマダへは行きません。ヨドバシになければ、ヤマダにはありませんから」

品揃えを各店舗に徹底させているのが、本部主導と呼ばれる絶対的な権限を持つ中央集権的な管理システムである
ヤマダ電機では、水曜日に本社で会議を行い、木曜日には会議で決まったことを現場に伝える
もし売り場の変更の指示があれば木曜日と金曜日で新しい売り場に作り替え、土曜日と日曜日で決まったことを実行する
その検証を月曜日に自店•他店の情報を集めて行い、検証結果を火曜日には本社に送る
そしてまた、水曜日から次の一週間が始まるという
店内に備え付けられた監視カメラは万引きのためにだけではなく、従業員の行動を管理するためにも使われている
すべてのカメラは本社に繋がっており、全店舗の内部の様子を映像でリアルタイムに把握できる仕組みになっている
その映像を見ながら、前橋の本部から現場に直接指示、例えば接客態度などについて指示するのである

商品構成、販売価格の決定、陳列、販促などのあらゆる小売業の機能を本部に集約する一方、店舗がその経営判断を実行できているかどうかをチェック、評価するための仕組みを、ネットワークカメラやテレビ会議システムなどITを使って構築することで作り上げた強力な中央集権
これがヤマダの経営の根幹だ
ヤマダ電機では、現場にはほとんど権限はなく、すべての指示は前橋の本部から降りてくる仕組みなのである
どの店舗でも全般的な強さはあっても、店舗固有の力が発揮されていることは少ない

業界関係者
「そもそもヤマダには店舗理論というものがありません。」


牛丼業界と量販店の安売りについて

いま見ているヤマダ電機についての本で、量販店が激安戦争を行った結果潰れたのは、町の電気屋で量販店は増収増益だったとある

今よく話題に上がるのは牛丼激安戦争だとおもう
これでも一番割を食うのは、体力のない個人などの飲食店なのだろう

コンビニ業界も個人商店が減少した

ファッション業界もしまむら、ユニクロなどチェーン店ばかりになった
親の時代はもっと個人店ばかりだったのだと思う


そういえば少し前にはじめて九州に行って感じたのは、本州と全く同じ風景だった
九州ってもっと違うものかと思っていたけど全く同じだった
昔からある程度はそうなのだろうけど、ここ数十年で大手チェーン店がどんどん増えたことによりさらに均質化したのではないかと思う



ヤマダ電機の暴走2 立石泰則

ヤマダ電機の暴走2 立石泰則


バブル経済の崩壊で、高くても飛ぶように売れた家電製品は、価格が高ければ売れない時代に放り込まれた
ヤマダ電機にとって、高コスト体質は改善されなければならない急務となった
高コスト体質の最大の原因は、まず人件費である
ヤマダ電機は、売り場のレイアウトから見直すことで、売場フロアの人員を削減しても販売に影響がなく、しかも販売効率を上げる試みに取り組んだ
例えば、店内の真ん中にキャッシャーを置き、その四方に買い物客の通り道を付けるレイアウトにしたことである
それによって、キャッシャーからは売場全体の様子がわかるし、買い物客の流れもスムーズになる上、従来と比べて少ない店員の配置で済んだ

次に物流システムの見直しにも着手した
当時ヤマダ電機では店舗ごとに物流センターを置いていた
メーカー各社が県単位で保有している物流センターに目を付けた
メーカー各社の物流センターをヤマダ電機の各店舗とオンラインで結べば自社の物流センターに早変わりする
ヤマダ電機では、同業他社に先駆けて1986年(昭和61年)にPOSシステムを導入した

ヤマダ電機では、商品が圧倒的な価格競争力を持つような方法を探った
販売管理費を抑えるとともにメーカーからの仕入れ価格を他店よりも安くすることである
それには、二つの方法がある
一つは、大量に仕入れることである
多店舗展開が大前提である
もう一つは仕入れ方法の変更である
商品の返品が可能な従来の仕入れ方法から買い取りに切り替えることで、メーカーに卸売価格の大幅な値下げを迫った

ヤマダ電機が最初に対峙した相手は、隣県の栃木県宇都宮市に本社を置くコジマだった
コジマは、小島勝平が1955年(昭和30年)に創業した日立系列の電気店を前身とする家電量販店である
その10年後には北関東でいち早く家電量販店としてスタートし、創業時から安売りを武器に急成長してきた
ヤマダ電機対コジマの激しい商戦が社会の耳目を大いに集めたのは、1994年(平成6年)9月の訴訟合戦である
そもそものきっかけは、コジマがヤマダ電機の本社がある前橋市に進出したことからである
ヤマダ電機はコジマの販売価格よりも必ず3%安くすると宣言したチラシを前橋市内に配布した
いわゆる比較広告であるが、当時としては珍しい
コジマは必ずしも3%安くなっていないことを突き止め、そこでコジマはヤマダのチラシの価格表示に誤りがあるとして4500万円の損害賠償を求めて提訴した
それに対してヤマダ電機も店頭でコジマの価格をいえば、それよりも下げるので価格表示に誤りはないと、逆に営業上の信用を傷つけられたとして6000万円の損害賠償を請求して逆提訴したのだった
イメージダウンを嫌った両者は、提訴を取り下げ、和解した
しかし両社の対立はその後も熾烈な安売り合戦を繰り広げた
コジマの出店はドミナント戦略(特定地域に集中的に出店すること)に基づき、ヤマダ電機の本社のある前橋市や太田市などで集中的に展開されたが、コジマの出店地域の近くには必ずといっていいほどヤマダ電機も出店して対抗した
二年後の1996年(平成8年)4月、今度はヤマダ電機がコジマの本拠地•栃木県宇都宮市に出店する
ヤマダ電機は、オープン記念日替わり超特価の商品として、ズラリと一円商品を並べた
もちろん、販売台数は限定されていたが、価格一円が与えた衝撃は凄まじく、新聞をはじめ各メディアが揃って伝えたほどだった
もちろん、利益が出るはずはないが、安いというイメージを定着させるには十分な効果があった
すぐさま、コジマをはじめ他の家電量販店でも追随する店が現れた

他方、コジマの安売り攻勢は北関東地区では群馬県のヤマダ電機以外にも、茨城県でも進められていた
茨城県は水戸市に本社を置く有力家電量販店カトーデンキ販売(現、ケーズデンキホールディングス)が地盤とするエリアである
そもそもカトーデンキ販売は、いわゆるモンロー主義を採り、他県への出店にはほとんど関心を示していなかった
ところが、コジマは前橋市に出店する十年ほど前に水戸市に出店し、すでに安売り合戦を仕掛けていた
そのとき、コジマは開店記念と称してテレビを5円で販売した
コジマが新店オープンの際に用いる常套手段「ご縁(5円)商法」である
それに対してカトーデンキも生き残りを掛けての安売り合戦に参戦した
カトーデンキでも一円セールに打って出ている
コジマの仕掛けから始まった北関東地区での安売り合戦は、群馬県のヤマダ電機、栃木県のコジマ、茨城県のカトーデンキ販売の三社のイニシャルをとってYKK戦争とも呼ばれた
とくに熾烈な安売り合戦を繰り広げたヤマダ電機とコジマの戦いは上州戦争と名付けられた
しかしケーズデンキホールディングス社長の加藤修一は、一円セールなど原価割れ覚悟の安売り合戦にはそもそも反対だったし、そのような価格競争に参加したのは本意ではなかったという
「こっちも真似してやりました。やらないとこっちが潰れてしまいますから。、、チラシを見た消費者はその店のほうが安いと思いますし、やらない店は高いと決めちゃうんですよ。、、」
じつは加藤には安売り合戦に参戦した理由が別にもう一つあった
「こちらも真似してやれば、公取委から待ったがかかるんじゃないかと思ったのです。一社だけやっていると、他者がみんなであそこは、変だといっているという話で終わってしまいます。、、そうしたら、案の定、止まりました。公取委に呼ばれましてダメだと言われたのです。、、」



福岡ソフトバンクドッグスが優勝!

おめでとう!

ヤマダ電機の暴走 立石泰則

ヤマダ電機の暴走 立石泰則


山田昇は日本ビクターに入社した
山田は結果を出すものの具体的な評価となって返ってくることはなかった
山田の実績の前に立ち塞がったのは、年功序列と学歴という日本企業特有の評価基準だった
やがて山田の不満は一つの決断ー独立へと彼を向かわせる

日本ビクターを退社した山田昇は、1973年(昭和47年)5月、前橋工場にも近い前橋市総社町に松下電器産業の系列販売店「ヤマダ電化センター」(個人経営)を開業した
1974年(昭和49年)5月、山田は個人経営の山田電化センターを法人組織に切り替えた
有限会社ヤマダ電機の誕生である

山田昇は有限会社ヤマダ電機の店舗数をわずか5年で5店舗にも拡大させた
しかし1980年代に入ると、支店を任せていた優秀な店員が次々とヤマダ電機をやめて独立し自分の店を構えるようになった
町の電気店にとって、稼ぎ頭は訪問販売による家電の売上である
しかも訪問販売の成否は、店員個人の力量に負うところが大きい
優秀な店員を失うことは即売上が落ち込むことを意味した
支店の経営は悪化の一途を辿るしかない
山田昇は、自分の目が届く本店だけを残し、支店を全て閉じることにした
支店は廃業もしくは売却され、各支店が抱えていた在庫はすべて本店に集められた
山田は全品オール二割引のチラシを作って、それを配ってまわった
いまでいう在庫一掃処分セールを行うことにしたのである
山田にすれば、当初から採算があっての二割引セールではなかった
しかし、在庫は飛ぶように売れ、すぐに売り切れてしまった
その様子を間近に見た山田昇は、強いショックを受けた
その時の気持ちを、のちにこう回想している
「家電というのは、訪問販売しかないと思っていたんです。たしかに秋葉原だとか日本橋(大阪の電気街)は知っていました。でもああいう都会だから、見せ売りが大きくなるんだろうなと思っていたんです。非常に人が多いところだから、そういう形態でも売れるんだろうなと思っていたんです。」

当時、メーカー系列の電気店は「系列家電」(メーカー⇒メーカー系列の販売会社(問屋)→系列小売店)と呼ばれる流通ルートで商品を仕入れていた
小売価格もメーカーの定価で決められており、メーカー支配の強い時代であった
その定価を守らず、値引き販売したのである
在庫一掃セールで値引販売の効果を知った山田昇はその後も二度、三度と続けた
その結果、定価販売を守っている周辺の同業者は、顧客をヤマダ電機に奪われることになる
かれらは当然メーカーに苦情を訴え続けた
ルールに従わないヤマダ電機を松下電器も許すわけにはいかなかった
許せば、他の店も値引き販売を始め、定価というメーカー支配の根幹を揺るぎかねなかったからである
そこで松下側は、対抗措置としてヒット商品、つまり売れ筋商品を卸さない、あるいは供給量を絞るといった圧力をかけたのだった
それでも山田昇は、値引き販売をやめようとはしなかった
逆に松下の系列店であるにも関わらず、それならと松下電器以外のメーカーや現金問屋など正規のルート以外から商品を仕入れる、つまり新たな仕入れ先を開拓していったのだった
このように独自に仕入れ先を開拓し品揃えに努めることは、従来のメーカー系列から離れることを意味した
メーカー支配の強かった当時、山田の行動は、ある意味、正気の沙汰ではなかった
メーカーに弓を引くような形で系列から離れることは、松下以外の他のメーカーにとっても表だって容認できることではなかったからである
そうしたリスクを取ってまでも、山田が系列店から混売店(量販店)への道を選び進もうとしたのは、従来の家電販売の方法に限界を感じたことのほうが大きかった
1982年(昭和57年)には、群馬県高崎市に量販店の二号店をオープンさせた
系列離れを進めるヤマダ電機と松下電器との関係は一層悪化していた
しかしヤマダ電機が大量の商品を売り続ける限り、圧力ばかりはかけてはいられない
松下以外のメーカー各社は表だっては松下の圧力に同調したものの、裏ではヤマダ電機との取引の拡大を望んだ
その意味では売上高の急伸こそが、山田昇とヤマダ電機にとってメーカー支配から脱するための唯一かつ有効な武器であり、最大のレゾンデートル(存在理由)であった


1992年(平成4年)はヤマダ電機に二つの試練を与える契機となった
そしてそれらは、現在のヤマダ商法、つまり激安価格での販売路線へのてんかんを促すことにも繋がる
一つは、1991年に始まるバブル経済の崩壊である
モノが売れない時代になったのである

当時は現在ほど激安価格を売り物にする安売り商法に走っていたわけではなかった
メーカー支配が強い当時、家電製品にはメーカーが指定した定価ぎあり、その定価からいくら割り引くかが安売りの実態であった
そしてバブル時代は家電製品は価格が高くても売れたし、顧客は修理よりも買い替えを望んだ
いわば、何もしなくてもモノが売れた時代である
ヤマダ電機も、そうした環境に安住していた面は否定できず、販売管理費(経費)率は上がり続け、20%を超えるまでになっていった

販売管理費は「販売費および一般管理費」を表し、販売のための費用(広告宣伝費、販売手数料など)と、企業全体を運営する上で必要な一般管理費(人件費、土地•建物の賃貸料、光熱費、福利厚生費、交際費や旅費交通費など)で構成されている
後者は売上高に関係なく固定費となるものが多い
売上高から原価を差し引いたものが粗利益でそこからさらに販売管理費を差し引けば、本業の儲けを表す営業利益が出てくる

従来の大手家電量販店の販管費率が20〜22%だったのに対し、後述するコジマなど新興の家電ディスカウントなどは12〜13%だったといわれる
少なくともローコスト経営を目指すなら販管費率の10%台前半は必須であった

二つ目は、1992年1月に大規模小売店舗法が改正され、大型店舗の出店規制が緩和されたことである
それによって、ヤマダ電機は大型店舗を他県に出店しやすくなったものの、同時にヤマダが拠点とする本社のある前橋市をはじめ群馬県全域も他県の有力な家電量販店から狙われることになった
実際に1995年(平成7年)には、前橋市のヤマダ電機本社近くに広島のダイイチ(現、デオデオ)が売り場面積1500平方メートルの大型店舗を出店してきたし、福岡からはベスト電器、大阪からは上新電機などがヤマダの牙城に攻め込んでいた
それら大手家電量販店は全国展開を目指し、大消費地である東京を中心とする首都圏進出を狙っていた
その足がかりとして、強力な家電量販店が不在の北関東地区、特にもともと家電量販店の空白地帯であった群馬県を出店の対象地区に選んでいたのだ
その結果、群馬県は県内外の有力家電量販店が群雄割拠する状態となり、いわば陣取り合戦の様相を呈することになった
それはまさに、家電量販店に転換したヤマダ電機にとって、生き残りをかけた最初で最大の試練となった


サイゼリヤの社長とマクドナルドの社長のインタビューについて

最近雑誌でサイゼリヤの社長が、店を始めたときに、うまくいかないのを外部のせいにしていたということを話していました
で、あるとき自分の今の実力では、値段に対して価値のあるものを出せていないことに気づき、全メニューを一気に値下げして大成功した、といったような内容の記事でした

最近日経ビジネスで、マクドナルドのCEOが、まず価値を高めてから100円マックなどを始めて客数を伸ばしたとありました
で、そのあとは、客単価を上げる施策、また客数を上げる施策、など少しずつ客単価と客数をあげて行くと

この二つの記事を見て改めて価値と値段の関係というのが大事だなと思いました

同じ外食産業で、ロープライスの会社同士、戦略に似ている部分もありますが、サイゼリヤはとことん安くすることで伸びていく会社
マックはもっと戦略的にいろんな施策を繰り返していく会社に思いました
個人的な私見ですが、比較的サイゼリヤは単純な政策なので後継者問題は楽そうだなと思いました
既存の踏襲でなんとかやっていけるからです
ほんの少しずつ成長もしていくかもしれません

逆にカリスマ性のある経営者のあとをやるマクドナルドの後継者は大変そうだなと思いました
上手くやらないと一気に転げ落ちるかもしれないと


20110718 日経ビジネス

20110718 日経ビジネス

■年金
高齢化と現役世代の人口減が年金を維持する力を衰弱させ、景気低迷がさらに追い打ちをかける
年金制度の担いてである企業が今苦しんでいる
例えば、国の厚生年金の資産の一部をかりて(代行して)、それに企業独自の上乗せ分をつけて運用し、定年後の従業員に給付する厚生年金基金
全国で608ある基金のほとんどは、中小企業が都道府県内などの業界単位で組織する総合型と呼ばれる基金だ
その財政が今、極めて厳しくなっている
「もう手のうちようがないよ。運用で損を取り戻そうとしても、今の市場環境でそんなことができるはずがない。加入者の保険料を引き上げて穴を埋めようと提案したところで、上げたら払えない企業が増えるばかり。もっと保険収入が減ることになる。改善の手はないんだよ」
福岡県のあるタクシー会社社長は精も根も尽き果てたように肩を落とした
打つ手がないとうなだれるのは、福岡県内のタクシー会社で組織する福岡県乗用自動車厚生年金基金(会員企業197社)の財政再建のことだ
積み立て状況は深刻だ
代行部分に対応する必要資産の54%しか保有していない
厚年基金は公的年金(厚生年金)に独自給付部分を乗せて運用•給付している
福岡乗用自動車厚年基金のような基金は独自給付部分の資産を全部失い、さらに公的年金まで損失が食い込んだ状態と言える
2009年度末時点で約40%もの厚年基金が、代行部分の必要資産額の90%を下回っていた
しかも公的年金部分の資産は足りているものの、独自給付部分が必要額に足りていない基金を加えれば、その数は364(2009年度末)にもなる

■原田永幸 日本マクドナルドCEO
前回僕は日本マクドナルドの改革を始めるにあたって「QSCを高めることに専念しろ。それ以外はするな」というところから始めたという話をしました
今日はそうした土台の上にどのように戦術を組み立ててきたかについてお話します
大切なのは、シーケンスです
土台がないのに柱は立たないし、柱がないのに壁ははれません
ある戦術を実行するためには、その戦術が実行できるための環境を整えておかなくてはならない
パズルを一つ一つ組んで行くように、戦略実行のシーケンスを考えるのが経営戦略というものです経営にとってやるべきことというのは大抵ハッキリしているんです
例えば、客数を増やす
客単価を上げる
コストを下げる
それらの組み合わせによって売上高と利益を上げる
それらの組み合わせによって売上高と利益をあげる
やればいいんです
ただ、それらを一度にやったらどうなるか
どれも実現できなくなります
例えば、客数を増やすためには、値下げすればいい
ところが値下げによって、客単価は落ちてしまう
客数×客単価で売上高が決まりますから、客数が増えても客単価が落ちれば、結果としての売上高は変わらない、ということになります
コストを下げるのも同じです
例えば、メニューの数を減らせばコストが下がって利益率は改善します
しかし、メニューを減らすことで顧客の来店頻度が下がってしまう
たとえ利益率が改善しても売上が落ちることで、利益の絶対額は変わらない、場合によっては減ってしまうということになりかねません
「客数を増やす」「客単価を上げる」「コストを下げる」
これは矛盾なんです
ですが、経営というのは、矛盾をどう乗り越えるかということです

2001年に苦境に陥った日本マクドナルドは大幅な値下げをしました
僕もCEO就任後、2005年に100円マックを展開しています
これも実質的な値上げです
価格をさげれば客数が伸びる
両者とも狙いは同じです
しかし、その値下げに至るシーケンスがまるで異なります
そもそも価格というものは、価値に対して設定するものです
2001年にはQSCが悪化して顧客に提供する価値の水準が落ちていました
そんな中でただ闇雲に「世の中がデフレだから」と価格を下げても「安かろう悪かろう」と自ら認めるようなものです
うまくいくはずがない
2004年以降、僕はまずQSCを引き上げました
おいしい、きれい、サービスがいいと顧客の価値認識が上がっています
そのうえで100円を打ち出す
まず価値を固めて、そのあとに価格で訴求したわけです
100円メニューの導入は社内に反対意見が多かった
失敗の前例がありますからね
僕は社内に向けてこう伝えました
「100円メニューを始めれば、六ヶ月は売り上げが落ちることは分かっている。でもこれは客数を取りにいくためにやる。将来への投資だから動揺するな」
その通りになりました
じゃあ今度は客単価を引き上げよう、という話になる
100円メニューの力で取り戻した客数を武器に今度は付加価値の高い新メニューを投入し、さらに値下げを実施しました
結果、客数は落ちて客単価は上がりました
「QSCの向上」=>「100円メニュー」=>「値下げ」
このシーケンスには必然があった、ということです
QSCの基礎がなければ100円メニューを導入しても顧客は店舗に足を運んでくれませんし、100円メニューで培った集客力がなければ値上げしても売り上げを落とすだけです
大事なのは、客数×客単価の結果である既存店売上高を伸ばすことです
客数と客単価を上下させながら少しずつベースラインをあげていくナビゲートが必要なんです
もちろん、値上げに欠かせないのは、その価値に見合うまで価値を上昇させること、であることは付け加えておきます
その後も様々な手を打ちながら、なんとか7年連続で既存店売上高を上げ続けることができました

それにしても、値上げというのは難しいですね
いくつかの方法があります
製造業に多いのはコストプライシング
小売に多いのはコンペシティブプライシング
日本マクドナルドの基本的な考え方は、デマンドベースプライシングです
顧客の購買パターンを定量的に分析して、ある商品についてどこまで値段を上げたら客数が減り始めるか、分岐点を定めて価格を決めます
そういう実験を一部店舗で実施してから価格を決定しているんです

シーケンスが重要なのは客数と客単価だけではありません
例えば、2010年に戦略的店舗閉鎖を発表しました
120億円の特別損失を計上して433店舗を一気に閉鎖するというものです
僕が就任する直前にも、店舗閉鎖は進んでいました
既存店売上高が毎年どんどん落ちて行くような苦境で出血を止める為に不採算店舗を閉めようとしたわけです
でも僕はCEOに就任してすぐに店舗閉鎖をやめさせました
身体が弱っているときに切開手術をするようなものですから
こういう店舗閉鎖は体力を蝕むだけです
だから、体力が戻るのをじっと待ちました
就任から6年、QSC向上から始まる一連の改革で身体は健康に戻りました
その結果、赤字だったこの会社にも137億円(2009年12月期の税引き前当期利益)という余力もできた
そこで店を一気に閉めたんです
でもこれは出血を止めるための急場しのぎの退店ではありません
僕が閉じることに決めた433店舗は、厨房のサイズが制約となって新たな厨房システムが導入できない小型店やQSCの水準がどうしても上がらない繁華街の店など
全社の戦術展開についてこれない店です
目先の数字を落としてでも、将来の成長の足を引っ張るところは切っておく
元気なうちにです
つまり、「手術で元気になる」じゃなく「元気になったから手術を受けられる」というシーケンスなんです
店を閉じるのはしんどいですよ
お客様はいらっしゃるわけだし、閉鎖にはコストもかかります
不採算といっても売り上げは立っているし、赤字でない限り利益も出している
健康なときにはわざわざしんどい思いをしてまで閉じなくてもいいんじゃないかと問題を先送りしてしまう
不健康になったら、痛み出すのにです
不採算店舗というものは、時機を逸すると永遠に負の遺産のままです
でもタイミングよく閉めると、成長のための投資になる
前回もお話しましたが、お金をどう節約するかを工夫するより、成長のためにどうお金を使うかを考えたい、というのが僕のスタンスです


20110711日経ビジネス

20110711日経ビジネス

■原田永幸 日本マクドナルドホールディングスCEO
奇抜に見えるようなことばかりやってきました
でも実はね、僕はものすごく慎重なんです
発想は大胆で有りたいと思っています
でも実行は慎重に
何か新しいことを始めようという時には徹底してデータを集めて検証しながら物事を進めます
だから数字は大好きですよ
無機的に見える数字の羅列には、本当は有機的な意味が隠されていますから
離職率と売上高
それぞれを別に見て「離職率が下がって(採用コストが下がって)よかった」「売上高が上がってよかった」と一喜一憂してもあまり意味がありません
でも、その2つの数字にある因果関係までを考えるとすべきことが見えてきます
業績不振に苦しんでいた就任直後、僕は従業員たちに、まず「QSCを高める以外のことを考えなくていい」「QSCのことだけを考えろ」と訴えかけました
(「quality 品質」「service サービス」「cleanliness 清潔さ」)

一般論として、企業というのは「らしさ」を忘れて不振に陥り「らしさ」を取り戻して復活するものです
日本でマクドナルドが苦戦していた理由は「健康志向が台頭したこと」でも「ハンバーガーに対して消費者が飽きたこと」でもない
「マクドナルドらしさを失ったこと」にある
僕はそう考えていました
らしさから逸脱する取り組みをすべきではありません例えば、消費者に健康志向が高まっていると聞けば、やれサラダだ、オーガニックだ、低カロリーだとやる
日本人はもうハンバーガーに飽きたと聞けば、おにぎりやカレーをやったらどうかと考える少子高齢化が進んでいるという声に応えようと、シニア向けメニューに知恵を絞る
でもそれらはマクドナルドらしさからは逸脱しています
たとえ売り上げが稼げても手を出すべきではない
「マクドナルドらしさ」とはなにかそれは、アメリカンテイストのボリューム感あるハンバーガーの味や、機能的で清潔な店舗や、スピーディかつ温かなサービスにある
その根底にあるのがQSCです
この土台を築かなければ次の戦略に駒を進められないという思いがありました

QSCを高めるにはどうすればよいか
離職率が下がれば売上高が上がります
QSCスコアが上がれば、売上高があがる
ということは、離職率とQSCスコアとの間にも逆の相関があるわけです
なぜか
離職率が下がれば、ノウハウを持ちモチベーションの高い従業員が長く働くことになる
それによって店舗のQSCスコアが上がるわけです
では、離職率を下げるにはどうすればいいか
働きがいを持って楽しく働ける職場環境をつくってES(従業員満足度)を高めればいい
QSC向上に注力するという戦略においてまず取り組むべき課題がESを高めることであることもこうして見えてきます
QSCという基本に立ち返るために僕が社内に発したキャッチフレーズは「back to the basic with innovative manner」です
単なる原点回帰ではなく、革新的な手法で立ち返ろうと

改革というと、みんなコスト削減から始めるじゃないですか
そんなの誰だってできますよ
コスト削減ほど易しい経営はない
僕はこう言うんです
「コストをカットするな。もっとお金の使い方の提案を持ってこい」
お金を使ってもっと売る方法を考えろ、ということですね
例えば震災後、野球場で節電のためにナイターゲームを自粛するという話がありました
あるドーム球場でナイターゲームを一回実施すると、その消費電力は4000世帯の消費電力に匹敵するという話でした
僕は驚いた訳です
そのドームには5万人以上の観客が入るという
だったらナイターゲームを中止して消費電力を浮かせるより、ドームを満員にした方がいいじゃないですか
家族で出かければ、各家庭でクーラーをつける必要がなくなるんだから試合をやめるという安易な判断を下すより、ドーム球場を満員にするためにはどうすればいいかを考える方が前向きですし、効果も高いんです
「何のコストを削減しなくてちゃいけないか」じゃなくて「お金を使えば新しく何ができるか」を考えてアイデアを持ってこい、ということです
持ってきたらそのお金をどこから捻出するか考えようと
そのシフトするところを切ればいいんです
そうやって経営資源を賢く再配置、再分配するのが本来のリストラです
単純に社員を減らすとか、コストを削減することじゃない
売るための手を講じずにコスト削減をやったら、本当に自殺行為ですよ
経営とは、要はお金の使い方を考えることだと私は思っています

■井上 礼之 ダイキン工業会長兼CEO
重要なのがスピードです
今は戦略を作っても、できた時には時代遅れになるくらいに環境が変化します
だから責任者は方向を打ち出したら、すぐ実行する
「一流の実行力と二流の戦略」でいい
まず実行に移して、肌で感じながら、戦略を変えていく
そのくらいのスピードとダイナミズムがないと通用しません

■日比野 隆司 大和証券グループ本社社長
2010年代はアジアの時代でほぼ間違いありません
製造業に限らず、「ニッポン株式会社」全体が基盤をアジアに移しつつあります
当然、金融界も企業の動きに合わせる必要があります
社内では「日本とアジアを分けずに、アジア•インクルーディング•ジャパン(日本を含むアジア)と考えなさい」と言っています
それは日本軽視ではありません
日本企業のアジア化を支援できないと、いずれ国内の金融界での競争力も失うと考えるからです
マザーマーケット(母国市場)を日本からアジアに広げなければなりません

グローバル化を成功させるカギはやはり英語です
証券会社ではモノを見せて顧客に評価してもらうことはできない
英語の壁を乗り越えなくては始まりません

問:
野村とSMBC日興証券に比べて、大和証券グループの目指す方向はいま一つハッキリしません
答:
野村は旧リーマンの買収で一気にグローバル展開しており、アジアをテコにと考える当社とは違いがある
向こうがウサギならこちらは亀です
でも、それでいいと思っています
うちは地味な会社ですから
一方、日興は三井住友フィナンシャルグループが買収したことで、銀行傘下で生きることを明確にしました
当社の特徴はやはり独立系の大手証券ということでしょう
三井住友FGとの合弁解消で法人部門と個人部門を分けている意味がなくなったとの声もあります
一般的には無駄なコストを省く意味でも一体化したほうがいいでしょう
しかし当社としては、少なくとも10年に1度あるかの重要な経営判断となります
役員会議で遺漏なく議論し、遅くとも今年度上期中に結論を出します


最近の株価の動きがひどい

毎日EUの財政問題の不安と期待で下がったり上がったりでただのマネーゲームになってきている感じが、、、そんな毎日変わるものかと思ってしまう

不安から売られる→安定期待から買われる→再熱→安定期待から買われる→、、、

またイタリアよりもスペインとかのほうがやばそうだけどなあ



功名が辻 司馬遼太郎 2

功名が辻2


北政所は、豊臣家の後継者としての秀頼を二なく愛しいたわっていたし、この気持ちは、豊臣家の滅亡まで変わらなかった
ただ、豊臣家の護持について徳川家康をひどく信頼し、接近し過ぎていた点だけが、淀殿とはきわだって違う政治的色彩を持っている
千代が北政所と親しくすることは、同時に豊臣家の別格の大諸侯である徳川家康の与党に入ることでもあった


家康の構想力など、秀吉が月だとすればスッポンどころか、泥がめでしかない
天下取りも構想力なのである
夢と現実を取り混ぜた構想を描き、あちらを押さえこちらを持ち上げ、右は潰して左は育て、といった具合に、一歩一歩実現してゆき、時至れば一気に仕上げてしまう、その基礎となるのは構想力だ
豊臣家の諸大名はいずれも戦場生き残りの荒大名であり、軍を指揮させてはどの時代の武将よりも優れているが、かといって、加藤清正、福島正則、藤堂高虎、池田輝政、浅野長政、黒田長政などに天下を料理できるほどの構想力はあるか
ない。所詮は大名にしかなれぬ、それが、精一杯の男どもであった
家康はどうか
信長の死後、秀吉と敵対していたところ、しきりと東海、信州、甲州方面を切りとって自家の勢力を伸ばしていたようだが、性、慎重に過ぎ、足元を見過ぎ、博打をするにしても自分の持ち金のせいぜい一割ぐらいしかはらない、という現実密着の性格を持ちすぎている
飛躍がない
ない、というのは創造力にとぼしいということである
所詮は、家康は既成の天下を継承はできても独力で天下を創作することは無理な器であった
かといって、豊臣家のならび大名からみれば、家康は群を抜いている
秀吉にはるかに及ばぬにしても


武士というものは、鎌倉以来自分の土地を安堵してくれる側につくのが本筋なのだ
一所懸命という言葉がある
一所とは、自分の所領のことだ
それに、命を懸けるというのが、一所懸命の語源なのである
古来、武士の大鉄則であって、天下の主がたれであろうと、自分の所領わ安堵してくれる側につくのである
平家が興れば平家につき、源氏が興れば源氏について、土地を保全してもらうのが武士の考え方の基本であるべきだ


六平太「徳川殿は、むしろ、上杉氏の謀叛を待っているようでありますな。」
上杉討伐が目的ではない
家康は平和を極度に怖れていた
このまま無事平穏が続けば、豊臣体制がそのまま続くということになる
つまり、家康の位置も死ぬまでかわらぬ、ということになる
乱が、起こらねばならぬ
そのためにこそ、家康は、傍若無人に秀吉の遺言や残した法度をやぶって、叛骨のある大名を刺戟しようとしている
千代「加賀の前田家の場合もそうでしたね」
前田家の場合、というのは、利家の死後、そのあとをついだ利長が、根も葉もない謀叛の噂を立てられ、それを家康がしつこく追及して、「討伐する」といいだしたのである
前田利長はおどろき、弁口の達者な家来をつかわしてかろうじて家康の怒りをなだめ、大事にいたらなかった
家康は残念であったろう
相手が上杉であれ前田であれ、軍事行動中にうまく機をとらえて政権をとってしまう
そう考えているに違いない


千代の芸がわかった
文箱の封印つきのまま家康に差し出す
すると、家康は伊右衛門の律儀さ、誠実さ、そして自分に対するそこまでの肩入れに感激するであろう
もし奉行衆の回状を見てからその読みがらを家康に差し出すとすれば、やはり回文に接していろいろと思案した、ということを疑われても仕方がないのである
どうせ、家康に味方するなら、文箱を封印ごと差し出しておしまいなさい、というのが千代の心得た作戦であった


徳川殿は、小牧•長久手の陣で故太閤でさえ一敗を喫したほどの軍略家である
石田三成はどれほどの軍功がある男ではない
かつ、三成が押したてている毛利輝元は名家の三代目で凡庸そのものの男である
とても家康には太刀打ちできない
次に身分である家康は関東255万石の大大名であり、三成は江州佐和山20万石足らずの身上で、この点では比べ物にもならない
天下の諸侯に動員する上で、信用が違うのである
(おそらく戦国の世に戻るであろう)
と伊右衛門は思っていた
天下が乱れに乱れれば、統率力のある、身代の大きい者を押したてて自家の運を切り開くのが戦国の作法というものであった


「徳川殿が勝つかどうか、そういうことはわからん。わかっておればもともと合戦などをする必要のないことだ」
「徳川殿を勝たせるのだ」
「どのように味方が苦境にたっていても、味方の最後の勝利を信じ切って働くことだ。わしはこの一戦で山内家の家運を開く。そのほうどもも、この戦で家運を開け。わしが討死すれば、弟の子忠義を立てよ。そのほうどもが討死すれば必ず子を立ててやる」


実に伊右衛門は奇跡の男と言って良かった
関ヶ原に出陣した東軍諸将の中で織田、豊臣、徳川の三代を生き延び得た者は、家康その人の他に伊右衛門しかいない
福島正則らは秀吉からこちらの人間だし、黒田長政や細川忠興は第二世でそのおやじ殿は別として彼ら自身織田につかえたことはない
さまで武辺者でもないこの夫が三代に渡る重要な戦場にはことごとく出陣し、目立つほどの武功もないかわりに大したしくじりもなく場数のみを重ねてきた
豪傑、軍略家といわれた連中は、ほとんどが早死するか、さもなければ自分の器量才能を誇り、増上慢を生じ、人と衝突して世間の表から消えた
(この亭主だけが、はればれしくも生き残っている)
それが千代にはおかしかった
可もなく不可もない人間で律義一方の男だけが人の世の勝利者になるものだろうか


年を経れば人々は同じ生の中に生かされているということが、しみじみとわかります
それが物のはずみで敵になり、味方になっても所詮は仮の姿に過ぎぬということがわかるような気がします
それがわかってくると人生の滋味が味わえるとともに、もはや若い頃のような、無法にどこまでも突っ込んでゆく行動が起こりませぬ
仕事は若い頃、物を味わうのは老いてから、きっとそのようになっているのでございましょう


土佐が一応鎮定されたというのに、伊右衛門はなお大阪にいる
だけでなく、大阪でどしどし牢人を召しかかえては家臣にし、それを船に乗せて土佐へ送りこんでいる
幕末まで続いた土佐24万石の山内家の家臣団の七割までは、このとき伊右衛門が大阪で召し抱えた諸国牢人である


井伊直政
「上様もときどき対州殿の噂をなされます。関ヶ原の働き、対州の功は、木で申せば幹である。諸将の功は枝葉である、と」

かといって伊右衛門には天下の武士が憧れるような武功は何ひとつない
このため、幕末にいたるまで土佐藩は他の藩士に肩身が狭かった
幕末など、土佐藩士は、酒席などで「貴藩のご藩祖はいったいどのような御武功で24万石を得られたのでござるか」と、聞かれることが多い
他藩士もむろん、その事情をよく知っていて、からかっているのである

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