2012年01月

アップルとソフトバンク

アップルがiPhoneなどの少数の製品に注力して好業績をあげています
今このアップルの選択と集中が賞賛されています
アップルのビジネスモデルは非常に極端で、カリスマがいたからここまで成功したビジネスモデルといえると思います
今までここまで極端な戦略をとってここまで成功した企業はいないと思う
そして多くの経営者は今後も取れないと思うし、取っても成功しないでしょう

逆にソフトバンクの孫さんは全く逆の戦略をとっています
ソフトバンクに資源を集中させるのではなく、多くの企業と資本関係を結び、経営はそれぞれの経営者に任せています
これは長期スパンを見越してのこととのことです

なにを実現する為にどのような戦略をとっていくか、こういったことが本当に求められていることのように思います

アップルはスティーブジョブズ氏の想いを実現するのが目的であり、全てであったように思います
次の戦略が求められている段階かなと


スティーブジョブズ氏 名言


「何をしてきたかと同じくらい、何をしてこなかったかを誇りたい」

ジョブズ氏は生前、「死こそ生命がもたらした、この世で唯一最高の発明だ」と語っていた
「死は古きものを取り除き、新しきものに道を譲る」からだと言う
ジョブズ氏は祝辞で次のようにも述べている
「人生は短い。他人のいいなりになるな。常識にとらわれるな。周囲の雑音に惑わされるな。そして最も重要なのは、勇気を持って心の声や直感に耳を傾けることだ。何者になりたいのかは、自分自身が一番よく知っている」

20111017 日経ビジネス

20111017 日経ビジネス

■編集長の視点 山川龍雄
アップルは、これだけの規模の会社にしては、極端に製品の種類が少ない
「何をしてきたかと同じくらい、何をしてこなかったかを誇りたい」
ジョブズ氏が遺した名言の一つです
競合の動きを気にして後追い商品ばかりつくってしまい、製品の種類が膨らみがちな日本企業とは対極にある戦略がそこにあります

コマツといえば、坂根正弘会長が標榜するダントツ経営で知られます
競合に負けてもかまわない部分をはっきりさせ、絶対に負けない部分を定めてダントツの商品を作るという考えは、どこかジョブズ氏の手法とも通じるところがあります
経営者にとって「どこを捨てても構わない」ということは、「どこに注力する」というより、はるかに逡巡を伴います
しかし、今その決断がとわれているような気がします


ジョブズ氏は生前、「死こそ生命がもたらした、この世で唯一最高の発明だ」と語っていた
「死は古きものを取り除き、新しきものに道を譲る」からだと言う
ジョブズ氏は祝辞で次のようにも述べている
「人生は短い。他人のいいなりになるな。常識にとらわれるな。周囲の雑音に惑わされるな。そして最も重要なのは、勇気を持って心の声や直感に耳を傾けることだ。何者になりたいのかは、自分自身が一番よく知っている」


竹内弘高
戦略の最初の種はたぶん右脳、つまり直感や洞察から生まれると思います
でも、それだけでは良い戦略とは言えないんですね
右脳によって作られた仮説を検証するという意味で、まともな左脳が必要なんです
要するに、右脳と左脳を両方とも使えて、しかもつなげられる会社が戦略的には一番強いんです


■日覺昭廣 東レ社長
高コスト構造でも耐えられる製品に関しては、国内でも設備投資しているんですよ
国内の役割は、研究開発を続けてハイエンド製品をつくり、生産技術を確立して現場力を強化すること
ここ3〜4年のことを考えれば、国内工場をすべて閉めて海外に持っていった方が利益率は高くなると思いますよ
だけど、すべてを海外に移して5年後、10年後はどうかといえば、恐らく競争に負けて終わりでしょうね
研究開発拠点である国内の重要性は今後も変わることがありません

問:
円高に強い体質を構築しているとはいえ、円高が一層進行したら厳しいのではないでしょうか
答:
まあ80円前後まででしょうね
東レがどうこうというより、お客様の加工メーカーが成り立たなくなる
まだそこまでの状況ではありませんが、製造業が韓国や台湾に出ていってしまったときに、東レだけが日本にいられるだろうか、と
そうなると、加工メーカーだけでなく、部品や素材といった産業も空洞化してしまう
日本の産業競争力そのものがなくなるということですよ
将来的に、円安に触れたとしても、そのときは既に時遅し
国内に素材産業の基盤がなくなっているということにもなりかねません


20110618週刊ダイヤモンド2

20110618週刊ダイヤモンド2

■小売業
スーパーと百貨店の売上高は20年近く減少が続いている
代わりに台頭してきたのがカテゴリーキラーと呼ばれる専門店業態
ヤマダ電機に代表される家電量販店や家具や日用雑貨を扱うニトリ、衣料品はユニクロなどの専門店に客を奪われていった
百貨店はファッションリーダーとしての地位も低下した
今ファッションに敏感な20〜30代女性の支持を集めているのは、百貨店ではなく専門店ビルだ
1つの象徴的な動きは2000年代に入ってからのルミネの躍進だ

ここ1〜2年、一部で新たな施策が動き始めている
イトーヨーカ堂亀有駅前店は、自前で品揃えしているのは地下の食品と衣料、雑貨の一部で、ほぼ専門店ビルに転換した
かつて自分たちから客を奪ったカテゴリーキラーを店子として揃え、ワンストップショッピングの利便性を訴え、駅前という好立地物件を再生しようという試みだ
イオンはその逆の手法を取る
イオン自身が専門店になろうという試みだ
イオンは自転車の販売台数では全国で1,2を争う
そこで、イオンバイクという専門店業態を立ち上げた
ほかにもペット用品、手芸品などの分野で専門店化を進めている

福島県を基盤とする食品メーカーのヨークベニマルは06年にセブンアンドアイの100%子会社になっている
東北の雄であり、収益性の高いビジネスモデルは、常に業界他社にベンチマークされる存在だった
大高社長の決断を促したのは福島県の人口動態だった
福島県内の人口は05年には209万人いたが、35年には165万人に減少、さらに65歳以上の老年人口は22.7%から35.5%にまで増える見通しだ
人口減に高齢化を加味すると、福島県内の食品市場は、ピーク時の75%まで縮小してしまう
「四分の一のマーケットが消失して、単独で経営していくのは困難。30年後を想定したら、グローバルで戦える巨大グループの一員になっていたほうがよい」との考えからだった

■鈴木敏文 セブンアンドアイホールディングス会長兼CEO
国内人口は減っているが、世帯数は増えている
ということは少数世帯化が進んでいる
高齢者や若い人でも単身や共働き世帯では、近くて便利だということで、コンビニにいい商品があればそれで間に合わせる
コンビニは、これからが国内で伸びていく時代

今後はインターネットの世界、バーチャルを制するものがリアルを制する
イトーヨーカ堂のネットスーパーも他社が儲からないからと関心を示さない頃から取り組み、今では利益が出るようになった
通信販売のセブンネットショッピングは今投資を重ねているところだ

■みずほ
5/23、みずほFGの塚本隆史社長は、みずほ銀行(BK)、みずほコーポレート銀行(CK)の2バンク体制から決別し、1バンク化を図る考えを表明した
みずほは前身の富士銀行、第一勧業銀行、日本興業銀行の3行で、FG、BK、CKのトップを分け合う3トップ体制を構築してきた
みずほの歴史は内部抗争の歴史そのものであり、行内には、権力にしがみつく男たちの業が凝縮されていた
人事抗争がなくならない最大の理由は、統合のスタイルにある
三菱フィナンシャルグループ、三井住友フィナンシャルグループも合併を繰り返し大きくなったが、支配と被支配の関係が明確にあり、MUFGは旧三菱、SMFGは旧住友が勝者だった
一方、みずほは1対1対1の対等合併で、勝者がはっきりしなかった
だからこそ人事でバランスを取るしかなかったともいえる
トップのみならず、役員や部長職のポストを旧3行でほぼ均等に分け合ってきた
そうした非効率性は、人事のみならず組織運営にも及び、必要だったシステム投資を遅れさせ、今回のシステム障害の遠因になったとの批判は強い

FGトップとして長年権勢を振るってきた現特別顧問の前田晃伸氏は、斎藤宏CB頭取(当時)、工藤正BK(当時)と02年にトップに立つ
前田氏はその後、斎藤氏と結託して、工藤氏を放逐
子飼いである旧一勧の杉山清次氏をBK頭取に引き上げた頃から、暴走が加速していく
斎藤氏の女性スキャンダルが発覚したり、グループで6000億円超の巨額損失が発覚したりしても前田氏は責任を追及せず、その座に居座り続けさせた
まさにモラルハザードの極みといえた
しかも前田氏は利権争いを繰り広げながらも、「自らの立場を危うくする優秀な人材が台頭してくると、ことごとく排除し、グループ内の人材を劣化させた」(みずほ関係者)

旧3行は、いずれもかつてはトップバンクとして君臨していたはずだった
旧富士は71年まで資金量で最大級を誇り、同年の第一銀行と日本勧業銀行の合併後は、旧一勧がその座に就いた
旧興銀も長期信用最大手としてきた名門だ
そんな3行が合併したみずほは、国内の上場企業のじつに7割と取引関係がある圧倒的な顧客基盤を持つ
にもかかわらず、それをいかすことがまったくできなかった

みずほCB幹部は、
「旧行意識はそんなに簡単には消えない。ポストが減る分、役員クラスによる人事抗争は先鋭化する」と断言する
2年後にも発足する新生みずほ銀行の覇権をめぐって、権力闘争は新たな局面に入ったともいえる
しかし、その前提となる1バンク構想事態が眉唾といえる
改革が本気なのか疑問が残るのだ
中身は、いずれも過去に発表された改革案の焼き直しの感がぬぐえない
それでも金融庁に押し切られる形で、やむなく1バンク体制に舵を切ったというのが真相だ
しかし、公的資金の注入を受けているわけでも、倒産の危機に瀕しているわけでもない今のみずほには、危機自体が薄い
人事抗争が再燃すれば、みずほ浮上の最後のチャンスである改革が頓挫する可能性もある

そもそも、みずほ凋落の原因は、3つのアキレス腱にある
1.人員•組織の膨張
2.システムの重複
3.資源の非効率

かつて2バンク体制の弊害を説き、1バンク体制の必要性を訴えた幹部が少なからずいた
しかし彼らは異端児ときて軒並み放逐されてしまった
改革を成功させるためにも今こそ彼らを呼び戻すべきではないだろうか

牛丼銘柄は日経平均を超えたについて思うこと

http://business.nikkeibp.co.jp/article/report/20120120/226330/?P=1

ヤマダ電機などの量販店の激安戦争のときも量販店の業績は伸びて、町の電気屋が次々に減少していったらしいですが、牛丼戦争もそういうことなのかもしれないなと改めて思いました


良し悪しは別として、体力のない個人店がきえていくのでしょう

以前書いた似たようなエントリー
http://keizai.ldblog.jp/archives/1584283.html

20110618週刊ダイヤモンド

20110618週刊ダイヤモンド

■ドラッカー
•柳井正 ファーストリテイリング社長
「企業には2つの基本的な機能が存在する。すなわち、マーケティングとイノベーションである」(現代の経営)
ドラッカーが言うマーケティングとは、お客様がもう自然に買ってくれるというものであり、イノベーションは、われわれが考える付加価値でなく、お客様にとっての付加価値を生むということ
イノベーションといえばハイテク企業の専売特許のよに考えられていますが、小売業やサービス業にこそイノベーションが必要で、それを可能にするのは知識労働者である、知識を持った労働者が未来をつくる、とドラッカーは言っています
イノベーションについて言えば、ちょっと皆さんに誤解があると思う
われわれは市場を奪った、安いから売れるみたいに今でも思われているんですけれども、新しい市場をつくった
われわれは二つ定義しているんです
ファーストリテイリングとは何か、ユニクロとはなにか
「服を変え、常識を変え、世界を変えていく」「ユニクロは、あらゆる人が良いカジュアルを着られるようにする新しい日本の企業です」

「変化をマネジメントする最善の方法は、自ら変化をつくりだすことである」(ネクストソサエティ)
「未来はたぶんこういうふうになるだろう」「こういう未来になってほしい」と自分で考え、「自分で未来をつくりださないといけない」とドラッカーは言います実際に変革を起こした人物はそうだったと思う
今の若い人たちにも、「自ら変化をつくりだす」という志や気概をぜひ持って欲しいと思います

•菊澤研宗 慶応大学教授
ドラッカーはウィーンに生まれた
幼い頃から父の親友であったフロイトなど知識人に囲まれて育ちました
そのため、自然にヨーロッパ知識人の伝統を受け継ぎました
その伝統とは、人間の自由の尊重です
ドラッカーの経営哲学を語る場合、この自由の概念は欠かせません
しかし彼の故郷ウィーンがヒトラー率いるナチスに占領されると、自由を強制的に放棄させられ、全体主義を押しつけられました


2作目の「産業人の未来では「ファシズム全体主義が二度と出現しないように、新しい自由社会を形成しないといけない。その担い手となるのは、政府、政治家、官僚ではなく、企業経営者である」と強調しました

3作目の「企業とは何か」で、「企業に対して政治的アプローチをしたい」と言っています
そもそもドラッカーがマネジメントに着眼したのは、お金儲けじゃなく、自由な社会をつくるという政治的な目的のため
ですから、いわゆる経営学の常識とは違うことを語っています
たとえば、企業は何を目的とするのか
われわれは「利益最大化のため」と言ってきましたが、ドラッカーは絶対にそうではないと否定します
彼が経営者に求めた企業の目的は顧客の創造でした
私はこの顧客の創造というのは経営者も自由人であれの言い換えだと思っています
経営者も人間として生まれたからには自由を行使し、自らイノベーションを起こし、能動的に新製品を顧客に問う
そこから新しい顧客、新しい産業が生まれ、自由な産業社会が形成されると
ただし、イノベーションを起こそうとしても成功する保証はない
失敗したらその責任を取らなければならない
そのために、経営者は利益はとっておかなければならないという発想です
利益が先にあるわけではないのです

ドラッカーは経営者だけでなく、明日の自由な経営者を育成するために、ミドルマネージャー、一般従業員にも自由の行使を求めました
経営者がミドルを管理する場合、上から駆り立てるように強制するのはダメで、あくまで「自己管理による目標管理」によるべきだと言います
ミドルが自分で目的を定め、それを達成するよう自己統治する、そういう管理論ですね
従業員に対する人事管理論についても同様です
従業員にたくさん給料を与えることが大切なのでなく、彼らが自由人として自らプライドを持って自律的に働くことが大事だと言います
そのために、経営者は、従業員一人一人に力を発揮できる最高の舞台を用意するよう求めています
さらにドラッカーは企業における自由の実現のためには、組織についても中央集権はダメで、分権型組織であるべきだと念押しします
ドラッカーのマネジメントは自由の概念の下に一貫しています

自由の概念は大きく分けて二つあります一つは「なんでもできる神の自由」
これはヘーゲル的な自由論です
つまり、外に制約されるものがないという全体の自由であり、「絶対者(神)の自由」「無制約の自由」という発想です
もう一つは「制約のある人間の自由」、カント的な自由です
これは自由意志、意志の自律に基づく「自律的行動の自由」です
ドラッカーの自由もこれです

カントは、人間が他律的行動を取ることを認める一方で、自律的行動を取ることもある、という二元論的人間観に立ちます
他律的行動というのは、原因が自分になく「上司に言われたから」「お金や名声のため」という功利主義的行動です
外から力や刺激を与えられて動くわけですから、機械や動物と同じです
一方、人間は機械や動物と違い、誰に言われるわけでもなく、自ら実行する能力つまり実践理性があることにカントは気づきました
ただし、自律的行動によって失敗したとき、その原因は他ならぬ自分にあります
それゆえ、自由な行為には常に責任が伴う
「自由と責任は対概念」だとカントは考えました
自由とは無制約になんでもできるということではなく、責任を伴うという意味で道徳的な行為でもあるのです
ヨーロッパの伝統である自由と責任論をドラッカーは経営学に持ち込もうとしたと、私は解釈しています
「産業人の未来」に次の言葉があります
「自由とは解放ではない。責任である。(略)自らの行為、および社会の行為について自ら意思決定に責任を負うことである」

•林 公認会計士

われわれは利益が増えた、減ったと一喜一憂していますね
その利益とはなにか
会計においては、一定期間の収益から費用を差し引いたものを言っています
実際にはバーチャルなものだたいうことを、ほとんどの人が知りません
ドラッカーは、「利益に関する最も基本的な事実はそのようなものは存在しないということだからである。存在するのはコストだけである」
大切なのは利益ではなく、儲け、キャッシュのほうなんです
キャッシュフローさえきちんと管理しておけば、会社は潰れない
両者はごっちゃにされていますが、まったく違う
ドラッカーが「企業は十分なキャッシュフローさえあれば利益が出なくとも、長い間なんとかやっていけるということは、古くからの知恵である。しかし逆は真ではない」
ドラッカーが批判する利益というのは過去の短期的利益のこと
過去の実績を輪切りにして収益から費用を差し引いたものです
それに対して、企業活動の条件、企業存続の前提と位置付けられる利益というのは、キャッシュフローのことをいっています
ドラッカーは、利益には
1.事業の判断基準
2.取るべきリスクに対する保険料
3.将来の投資に対する備え
という3つの機能があり、それがなければ企業は存続できないと整理しています

ドラッカーは収益と費用というのは対応しないときっぱり言います
「業績の90%が業績上位の10%からもたらされるのに対しコストの90%は業績を生まない90%から発生する。業績とコストは関係がない」「利益を生み出す活動に意識的に力を入れないならば、コストはなにも生まない活動、単に多忙な活動に向かっていく。資源や業績と同じように活動やコストも拡散する」
コストをいかに成果があがる活動に仕向けるかが重要で、それがマネジメント
「あらゆる活動が短期間だけ強化しても成果は上がらない。しかも、支出の急激な減額は、長年築いてきたものを一日で壊す。売り上げが10%落ちただけで、
トイレの石鹸の補給をストップするなどということは、行ってはならない」


•齋藤孝 明治大学文学部教授
ドラッカーが重視するのは、自分で考えて行動できる判断力を持った人間、価値を生み出す人間です

「過去の分析よりも未来を見る」
ドラッカーはなぜこの企業がダメなのかと原因を探るよりも、まず次の新たな判断をすべきと、説いています

「マネジメントは、明日の経営管理者を準備するという社会的責任を持つ」
ドラッカーはマネージャーの社会的責任についても厳しく、安易な解雇は労働者への裏切りだと説いています

 金融危機の経路

ダイヤモンド
http://diamond.jp/articles/-/15881?page=2


 金融危機は、だいたい次のような経路でやってくる。これはぜひ覚えていただきたい。過去も現在も未来も、構図は変わらないはずである。

々ザ靴砲茲辰禿蟷颪亢進し、潜在成長率を大きく上回って資産価格(株・不動産)が上昇する。

期待成長率(将来のインフレ率と同じ)が大きく上昇する。人々と企業は熱狂の渦中にある。

6箙圈覆修梁抄睛撒ヾ悗魎泙燹砲陵算颪激増するが、担保資産価格も上昇しているのでどんどん亢進する。銀行も熱狂している。

せ埔貉臆端圓潜在成長率を超えた部分を、あるきっかけでバブルと認識しはじめると、資産価格は下落を始める。企業も個人の心理も冷却する。

セ饂魂然覆両緇採┐論在成長率まで下がるはずだが、日本のようにそれを下回って下落することもある。

Χ箙圓話簡飮饂魂然覆硫射遒砲茲辰萄銚△不良化する(不良債権)。

Т待成長率も低下する。物価も下落。金利も低下。

不良債権を大量に抱え込んだ銀行は自己資本比率を維持するために分母の資産を減らす行動をとり、貸し渋りや貸しはがしを行なう。この経路を通じて倒産が殖え、不況となる。

債務超過に迫る銀行からの預金流出が起きる。パニックになると取り付け騒ぎとなる。


回避策は、けっきょく70年前の高橋是清の策と同様、中央銀行による無制限融資、銀行の即時破綻処理、一時国有化による整理くらいしかない。


ドラッカー 名言

「イノベーションを行う組織は、昨日を守るために時間と資源を使わない」


ドラッカーは販売とマーケティングは逆だという。両者は全く違う。補い合う部分さえない。
「マーケティングの理想は販売を不要にすることである」


「利益とは目的ではなく条件である」


「真摯であるかどうかは2,3週間でわかる。無知や無能、態度の悪さや頼りなさには寛大たりうる。だが、真摯さの欠如は許さない」
真摯さの欠如とは、人の強みよりも弱みに目がいくことである。なにが正しいかよりも誰が正しいかが気になることである。頭のよさを重視することである。部下に脅威を感じることである。仕事に高い基準を設定しないことである


「ある案だけが正しく他のすべての案が間違っていると考えてはいけない。自分は正しく、他の人は間違っていると考えてもならない。なぜ他の者は意見が違うのかをあきらかにすることからスタートしなくてはならない」

「自立的なマネジメント、すなわち自らの組織に奉仕することによって、社会と地域に奉仕するというマネジメントの権限が認知されるには、組織なるものの基盤に本質を置く正統性が必要とされる。そのような正統性の根拠は一つしかない。すなわち、人の強みを生産的なものにすることである。これが組織の目的である」

「過去の分析よりも未来を見る」
ドラッカーはなぜこの企業がダメなのかと原因を探るよりも、まず次の新たな判断をすべきと、説いています


しまむらとヤオコー5 小川孔輔

しまむらとヤオコー5 小川孔輔

■しまむら
しまむら商品戦略の特徴は、買取制である
それも徹底して、完全な買取制に挑んできていることである
これは、大手量販店のイトーヨーカドーやイオンでさえ、いまだに実現できていない商取引慣行である
1984年(昭和59)、後藤長八が商品本部長に就任する
役員になった翌年(88年)から、取引関係の見直しに着手した
しまむらが168店舗になったときで、商売にも余裕が生まれてきていた
制度改革のテーマは4悪の追放である
後藤がしまむらから追放したかった取引慣行は、返品、赤•黒、値引き、未引き取りの4つだった
「返品なし」
買い取った商品はどんな事情があれ返品はしない
「赤•黒なし」
いったん切った伝票を書き換えない(商品を返品したことにする措置を取らない)
「値引きなし」
商品納入後に、サプライヤーに追の値引きは要求しない
「未引き取りなし」
発注をかけた商品の引き取りをどんな場合でもキャンセルしない

しまむらと取引すると、返品も値引きもキャンセルもない
商売や値段には厳しいが理不尽な要求は絶対にしてこない
当初は信用してもらえなかったが、「しまむらと取引すると儲かる」と考える企業が増えていった

買取制度を導入したことで、社員の意識も変わった
後藤や藤原がなくしたかったのは、商品調達で4悪が認められていることで、バイイング(仕入れや商品選定や価格交渉など)が甘くなりがちだったことである
バイヤーがリスクを取ることで、商売について厳しい決断をするように会社の体質を変えていきたかった
結果として、若手バイヤーの能力が、ここで飛躍的に伸びた
「売れなかった場合に返品するということは、一般に広く行われているが、それをすると、取引先がリスクを負うことになる。そのリスクは、結局、価格に反映される結果になる」(藤原相談役)

こうした商品調達システムは、ユニクロのようなSPA(製造小売)で製造から小売りまで全体を管理するのとは異なっている
しまむらの場合は、無駄のない効率的な関係で、取引先との高い信頼を築くことが基盤になっている

埼玉•群馬から始めて、関東地方へと開発を進めた後、以後は県ごとに集中開発する方法をとった
いわゆる、ドミナント開発方式である
1県10店舗を超えると、客からの店への信用度が高まり、急に売上高が高くなる傾向がある

基本出店パターンは以下の3点に基づいている
1.建物は地主に建ててもらう
2.建物の代金は、約3分の1負担する
3.その他は銀行からの借り入れ

おもしろいのは、1980年(昭和55)以降で、しまむらの標準店の店舗サイズがほとんど変化していないことである
売り場面積も取り扱い商品のカテゴリーも変わっていない
藤原の試算によると、データをよく眺めてみると「面積を2倍にしても、売り上げは平方根(√)倍にしか増えない」
面積を2倍にしても売り上げは
40%(1.414倍)しか増えないので、売り場の効率はどんどん悪くなっていく
その結果、20年間しまむらの売り場面積は300坪で固定している
都心出店の場合は、逆に売り場が小さくなってかえって効率がよくなっているくらいである

■ヤオコー
アメリカから直輸入してきた食品スーパーの標準的なフォーマットは、
1.完全なセルフサービス
2.店舗の標準化
3.本部集中仕入れ
がセットになっている
1985年(昭和60)に始まる成長の25年間でヤオコーが目指してきたのは、
1.(単純な)セルフサービスからの脱却
2.(標準化をベースにしながら)店舗への権限委譲
3.(地元野菜の仕入れなど)商品調達の分権化
である
川野幸夫会長は、経営の特徴を「個店経営」と表現している
その背後にある経営思想は「部下(バイヤーや店長)には細かいことは指示しない。その代わりに、仕事を任せるから自分の頭で考えて工夫せよ」である
社員に全面的に権限を委譲し、任せて見守る経営である

実は地方都市で最も有能な人材は、女性パート従業員である
高度成長期以降、地方で生まれた優秀な男子は、東京や大阪などの大都市に出ていった
地元には、優秀な女性たちが残った
だから、彼女たちを雇用して有効に活用できる、働きがいのある職場が求められた
ヤオコーの社風と地方の雇用環境がジャストフィットしたのであるそうした事情は、しまむらのパート従業員向けの雇用制度についても同じであった

93年(平成5年)になってからの全店POS導入は、中堅の上場小売業の中では、かなり遅い取り組みである
セブンイレブンジャパンのPOS導入におくれること約10年
しまむらは1970年代の半ばにはすでに導入していた

「うちの会社は新しい機器の採用については、本当に慎重なんですよ。石橋を叩いてもなかなか渡らない」「(わが社の)経営体質ですね」と滝沢店長(小川ショッピングセンター店)は言うが、要するに、効果がはっきりしないハードの導入にはかなり慎重だということである
それとは逆に、販売方法やプロモーションのやり方、商品開発については、大胆に実験を繰り返す
店舗周りのソフトな取り組みについては、積極的で果敢なのである

■しまむら
しまむら高田馬場店で筆者が都心モデルをシミュレーションしていたのは、次のようなロジックだった
都心店舗では、売り場面積が標準店の3分の2になる(約200坪)
店舗全体の売り上げは倍を見積もることができるだろう
そうだとすると、坪あたりの売り上げ効率は、約3倍になる
つまり、フリースタンディングの標準モデル店と比べて、ビルトイン方式のテナント入店モデルでは、約3倍の家賃を負担してもよい
藤原社長の時代に「ファッションセンターしまむらは、全国1200〜1300店舗で飽和するだろう」と考えられていた
しかし、野中社長の代になってからは、「東京、大阪の都心部を攻めることができれば、2000店までは狙うことができる」と変わった


しまむらとヤオコー4 小川孔輔

しまむらとヤオコー4 小川孔輔


85年(昭和60)にヤオコーでは川野幸夫社長が誕生する
その5年後にしまむらでは、藤原秀次郎が社長に就任する
いずれも40代の若い社長であった
川野幸夫が社長に就任した翌年、ヤオコーは本部を小川町から川越の駅前に移転した
しまむらは、82年(昭和57)に東松山から大宮に本社を移転していた
そこから両社の大躍進が始まることになる

しまむらのビジネスは日用衣料品の日本版ウォルマートモデルである
フォーマットが同じたくさんの店を、標準化された仕組みで効率よく動かしていく
ヤオコーの店舗コンセプトは楽しい食生活を実現するための提案型売り場作りに集約できる
こちらは、それぞれの店舗に個性を持たせて、人の力で効果的に店を動かしていく


90年(平成2年)しまむらでは藤原秀次郎が社長に就任するが、同社のビジネスモデルは、藤原社長誕生のときにほぼ完成していた
ヤオコーは同社の大躍進のきっかけとなった狭山店の大改装が実現するのが98年(平成10)
川越南古店の開店により独自の業態が完成するのは2003年(平成15)になってからである


しまむらの事業システムは1980年代を通してゆるやかに形成されていった
約20年間、藤原秀次郎の女房役を務めてきた後藤長八元専務は、相方の経営の考え方を「藤原さんは、節目を作るのが嫌いだからね」と表現している
経営の規模が大きくなっていく先を読みながら、タイミングを見計らって用意周到に準備をしておく
だから、成長の節目は、経営の外部からは見えない。決して見せない
成長している企業は、30店舗のときに100店舗の準備を、100店舗のときには500店舗の準備をしておかなければならない
100店舗と500店舗ではシステムとしての要件がまったく異なる
500店舗のときになってから急いで対応するのでは遅すぎるのである


藤原によると、経営を安定させるために必要な要件(原理)は4つのSに集約できる
4つのSとは、4S=「3S(標準化、単純化、専門化)+システム化」である
しまむらの約1600店のすべては、直営のチェーンストアである
基本の1000平方メートルのフォーマットを守り、標準化を徹底するとともに、単純化、専門化を進めて、チェーンストアの3S原理を経営に反映させた
最後に仕組みつまりシステム化を加えたことが、しまむらの事業モデルの特徴である
しまむらの経営について感心するのは、すべての原則に例外を作らないことである

藤原相談役
「チェーンストア経営について、重要な原則は4つです」
しまむらのビジネスの骨格を形成しているのは、4つの原則である
一つ目は、ヴィジョンである
ヴィジョンとは理想的な経営の姿のことである
それに社員が共鳴して納得して、その下に全員が集まる経営の羅針盤である
経営理念とも呼ばれる

2つ目は、組織的公平性である
組織には様々なポジションがあるが、処遇や昇進についてしまむらでは徹底的に公平さを大切に考える
社会学の用語に、being志向とdoing志向という概念がある
being(〜であること)志向とは、人事や昇進の枠組みで家柄や学閥、閨閥によって、人を処遇することである
doing(〜をすること)とは、その人ができる能力のことを指している
したがって、doing志向とは、期待される役割や仕事の能力によって、従業員を評価し処遇することである
しまむらは、圧倒的にdoing志向の会社である
島村恒俊は、しまむらの後継者として身内を指名しなかった
後継者の選択について、筆者に明確に述べている
「会社のため、従業員のために最もよい仕事ができる人間が社長になるべきです。身内だから、家族だからといって、それだけで社長の資格があると考えるのはおかしなことです」
島村恒俊は、鉄塔徹尾doing志向の経営者であった

3つ目が、マニュアルと改善案である
藤原の定義によると、「マニュアルとは、一番優秀な人がしていることを、箇条書きにしたもの」のことである
マニュアルのおかげで、他の人もいちばん優秀な人のレベルに達することができる
戦後、日本企業はアメリカきらマニュアルを使った経営手法を学んだが、しまむらでは、これに日本式の改善提案をセットにして組み合わせている

4つ目が、人材の育成である
興味深いのは、しまむらとヤオコーの採用方式の違いである
しまむらは、ある時期からは、すべての正社員を新卒で採用して内部育成するようになった
「...いつまでも、よそから上司がやってくる植民地のままで、社員全体のモチベーションがあがらない」(藤原相談役)
ヤオコーは、2000年(平成12年)以降も、大手流通業からの中途採用を続けている
他社が持っているノウハウや知識、専門技術をヤオコーはいまでも中途採用によって補っているのがわかる

■しまむら
夜間配送は、80年(昭和55)から始まっている
夜間配送は、小売業ではいまでこそ当たり前の慣行になっているが、しまむらが導入した当時は、運転手がやめてしまうからできないという反対を運送会社から受けている
そうした強い抵抗を受けていたにもかかわらず、夜間配送をしようと考えた理由は、トラックが店に着くまでの間、店でそれを待つ人間のアイドルタイム(無駄な時間)が出てしまうからだった
商品が夜間に配送されていれば、全店で朝同時にすぐに作業ができる

正社員は、各部署に高速配転される
基本的には1部署は3年で社内でどんどん配置転換が行われる
後藤元専務「(しまむらの社員は)できないときに動かす。できたときも動かす。慣れてくると動かす。だから2年くらいたったら人は動く」
社員にとっては経験の幅を広げるための人事制度である
そして会社にとっては、たとえ人事で失敗しても失敗のリスクは瞬間的である
後藤元専務が「(島村恒俊)オーナーは失敗しても声を荒げることがない人でしたね」と言っていたことを思い出した
「小さな失敗ならば、経験は人を伸ばすものだ」と考えるのがしまむら流だ

しまむらとヤオコー3 小川孔輔

しまむらとヤオコー3 小川孔輔

■しまむら
藤原秀次郎 日経ビジネスインタビュー
「、、、しまむらでは、店舗を作るときに、不動産は自分たちでやることにしました。物流もそうなんだけれど、我々は専門家に任せず、自分たちでやりました。それは、ユーザとしてのあるべき論、理屈を通せるからです。専門家が大変だということに限って、自分でやってみれば意外に簡単なものです。うちは理屈を通したら1000店舗以上できました」
しまむらの経営の自前主義は、藤原の「
とにかくなんでも自分でやってみる」という原体験を出発点にしている

しまむらの商圏は自転車で10分の範囲、半径2キロメートル程度である
その中に、5000世帯、2万人が住んでいることが採算の目安である
市町村別の人口は統計でわかるが、出店情報としてはもっと局所的な情報が必要である
小学校の数が世帯数や商圏人口を推計する最も優れた指標になる
藤原はいち早くそのことに気づいていた
藤原の理屈では「出店候補地の周囲2キロメートル圏内に小学校が3つあること」が出店の最低基準だった
小学校(全国で3万校)に対する世帯数(5000万世帯)の割合は、約1667倍である
3つの小学校があれば、5000世帯が商圏内に住んでいることになる

しまむらの経営は、合理的で科学的な考え方をベースにしていることが特徴である
上空からセスナで立地場所の商業性を確認したり、店舗のサイズを決定したりする場合でも、客観的なデータや情報を根拠に可否を判断する
将来の環境変化に関しては、高速道路の延伸を予測したり、住宅地の開発状態について情報をいち早く収集している
新しいことにチャレンジする精神が旺盛なこと、そして理屈が成り立つことに対しては多大な出費も惜しまない
セスナをチャーターして、上空から立地をチェックするなど、恒俊の行動はそうした進取の気性をよく表している

■ヤオコー
昭和40年代の半ば、日本は高度経済成長の真っ只中にあった
流通業界の地図が大きく塗り替えられようとしていた
企業同士の合併と大型化が進行していた
1970年(昭和45)に、岡田屋、フタギ、シロの3社が合併してジャスコが設立された
71年(昭和46)には、ほていやと西川屋の両社が合併してユニーが誕生した
72年(昭和47)にダイエーが東証1部に上場
売上高1兆円のチェーン小売業が誕生することも夢ではなくなった
日本型スーパーストアが最も輝いていた時代である
関東のスーパーもそれに負けず劣らず、勢いがよかった
上野光平が支配人を務めていた西友は東京西地区に82店舗で年商955億円
伊藤雅俊社長のイトーヨーカドーは、東京の下町を中心に19店舗で年商350億円
流通各社は、年率30〜40%の高い成長目標を掲げていた
激しい出店競争は、商店街との間で摩擦を引き起こした
流通規制の引き金(大店法の成立)が引かれるタイミングが目の前に迫っていた
埼玉県の田舎町にあって、ヤオコーは人材面、資金面、組織面で大きなハンディキャップを背負っていた
このままでは、大手の流通各社から置いてけぼりをくらいそうだった
追いつくために、多店舗化と店舗の大型化に取り組むことが急務だった
58年(昭和33)、八百屋からスーパーに業態を転換したヤオコーは、いち早くセルフサービスを取り入れていた
近代化に踏み出してはいたが、幸夫にはすべてが中途半端に思えた
そのあとも生鮮部門は、プリパックせずに対面販売を続けていた
魚と肉はその場で包んで、値段を記して客に手渡しするやり方だった


同じ小川町出身で、同じ時期に成長を始めたヤオコーとしまむらは、長瀬店、児玉店、境店などで、共同出店をしていた
ヤオコーが8ヶ月で撤退した境店を除いては、ヤオコーが土地、建物の開発を行い、しまむらがヤオコーから場所を借りる形がふつうだった


1978年(昭和53)ごろまで、しまむらは駅前の繁盛店などを中心に出店を進めてきた
大店法の規制のかからない150坪タイプの店を郊外の生活道路沿いにつくるのは、はじめての試みだった
二ヶ月後ヤオコー10号店、高萩店が開店した
高萩店の成功を境に、埼玉県の北部で力を蓄えたヤオコーは、高麗川店、所沢北野店、一本松店と、県の南寄りへと進出していく
82年時点で13店舗、売上高165億円を達成する
一方のしまむらは、翌年3月に出店した高萩店が大当たりした
大店法の網の目にかからないフリースタンディング立地(単独でロードサイドへの出店)の始まりである
店舗を標準化し、物流システムを整えたしまむらはさらに、群馬、茨城、栃木、千葉、静岡へと店舗網を広げていくことになる

ちなみに、ヤオコーとしまむらが共同で店を出したのは、85年(昭和60)の川島店のあと、しばらく途絶える
共同出店が難しくなった理由は、主として商圏特性に求められる
しまむら(衣料品)の商圏は広いが、ヤオコー(食品)の商圏は相対的に狭い
出店のスピードにも違いがあった
大店法の影響で78年(昭和53)年以降は、出店に厳しい規制が掛けられるようになってきた
食品スーパーの出店には反対勢力が多い
ところがしまむらのような衣料品スーパーに対して、その圧力はさほどでもなかった


しまむらとヤオコー2 小川孔輔

しまむらとヤオコー2 小川孔輔


しまむらのパート社員は社内ではM社員という名称で呼ばれている
彼女たちは、割り当てられた仕事を分刻みですばやく無駄なくこなしていく
ヤオコーのパート社員を正社員はパートナーさんと呼んでいる
自らの仕事に責任と誇りを持ち、創意工夫を凝らしながら、生き生きと働いている

■しまむら
作業の開始が開店の15分前でOKという勤務の仕組みは、長時間勤務が通例の日本の流通業界では驚くべきことである
閉店後も店を閉めてから15分後には帰宅できるのも異例である
正社員、パート社員の別に関わりなく、従業員がなすべき仕事が分刻みで管理されているからである
合理的に働くことができるシステムが確立しているから、定時出社、定時退社で残業はない
これは、しまむらの店舗運営システム(作業マニュアルに基づく作業管理)によるものである
しまむらでは、「目で見て体で覚えよ」とか「習うよりは慣れよ」などという仕事のやり方は求められない
原理原則に従いながら、徹底的にあいまいさを排除する社風なのである
作業マニュアルは、固定されたものではない
日々、進化している
社員からの提案によって作業プロセスが改善され、日常的にバインダーの内容が更新されていく


ヤオコーでは、各店の損益計算書がパート社員にも開示されている
というのも、年次決算で売上高経常利益率が目標の4パーセントを超えた場合、パート社員にも決算賞与が支給されるからである

ヤオコー、しまむらは、トップと社員の距離が近い会社
トップがパート社員に気さくに声をかけてくれる
従業員と経営者との間で築かれてきた強い信頼関係と親密さは、社員とともに成長してきた企業の特徴である

1953年(昭和28年)秋に、島村呉服店は法人化された
株式会社に組織形態を変えた呉服店は、全国でも珍しい存在だった
57年(昭和32年)に店舗運営を完全なセルフに切り替えた

「30店舗は持ちたい、いずれは100店舗も」という恒俊の話は雲を掴むような絵空事としか聞こえなかった
60年(昭和35年)末、「ペガサスクラブ」の調査資料によると、日の出の勢いだった「主婦の店ダイエー」が33店舗、ジャスコの前身「オカダヤ」が18店舗、関東で伸びもりだった「イトーヨーカドー」は5店舗だった

「チャレンジ精神をよしとして、過去の失敗は問わない」のが、しまむらの社風

1990年(平成2年)、島村恒俊は、後継社長に当時専務だった藤原秀次郎を指名した
自らが経営の第一線を退いたのは、父親の喜一が息子にその後を託したのと、同じ年齢の64歳であった。会長職の在籍期間は2年
相談役に退いたあとは、藤原が年に2回、側近とともに島村オーナー宅を訪れている
会社の現況について報告を受けることはあっても、オーナーが会社の事業方針の細部に対して口を差し挟んだことは一度もない
「社長時代から、とにかく社員を信頼してすべて任せてくれる人なのです」藤原相談役の言葉である
05年(平成17年)5月、藤原が野中正人(当時44歳)に次期社長の座を託したのも、先代、先々代と同じ年齢の、64歳のときである

島村恒俊と話していると、「60店主義にして、80点を狙わせる」とか「公平無私の処遇」という言葉が頻繁に飛び出してくる
人の能力や努力を信じて、従業員を公平に扱うことが大事だと、恒俊は考えてきた

日本NCRが主導して日本の食品小売店にキャッシュレジスターが急速に普及していくことになる
昭和30年代、鮮魚店の松清や八百屋の八百幸商店にキャッシュレジスターを導入し、食品スーパーへの転換を促進したのは、NCR(本社アメリカ)やスエダ(本社スウェーデン)のようなキャッシュレジスター機メーカーだった
NCRが当時セルフサービス方式の導入に熱心だったのは、食品スーパーマーケットが、キャッシュレジスターの顧客として最も有望だと考えていたからであった
そのあとに1980年代になってから、日本NCRはキャッシュレジスターと一緒にPOSシステムを販売する会社に変わっていくことになる
日本マクドナルドの原田永幸CEOは、72年に日本NCRの営業マンとして働き始めている
原田CEOの最初の仕事は、流通フードサービス業向けの販売管理システムの営業だった
「マックからマックへ」と世間では言われているが、流通業向けの営業担当者だった経験が、現在に続く日本マクドナルドのVじ回復に非常に役立っているはずである

チェーン化を促進したい島村恒俊社長の考えに反発して、しまむらでは男子社員12人のうち9人までが退社する
たとえ欠員が出ても、誰もが仕事を代行できるようにしくみを作っていく
多能工を養成するために人材を高速配転する人事システムを設計するきっかけを男子社員9人一斉退社事件が与えたのである
これとよく似た話をユニクロの柳井社長から伺ったことがある
父親が経営する洋服店の2店舗を任されることになる
ところが、仕事を引き継いでから数年もしないうちに当時6人いた社員のうち、ひとりを除いて、全員が去っていった
商品の仕入れから販売、資金繰りまで、業務の一切を自分で切り盛りすることになった
ところが、そうした苦難の時代にあって、柳井の目はすでに世界を見据えていた
カリフォルニアに渡って、GAPの1号店を訪問している
しまむらの恒俊が、事業を拡大したいと思ったように、ユニクロの柳井も「いつか世界有数のカジュアルウェアのチェーンにする」という目標を定めて、早くから世界の優良カジュアル小売企業に狙いを定めていたのである
近代的な小売チェーンに脱皮していく初期段階で、壮大な目標を掲げた両社は、「人材の総入れ替え」を経験しているわけである
人材のふるい落としを経て、事業がステップアップしている
経営者がひとりになってしまう厳しいプロセスは、成長意欲の高い企業が一度は通り抜けなければならない、最初の関門なのかもしれない
69年(昭和44年)に入社した廣瀬義征(元しまむら開発部長)、翌年入社した藤原秀次郎、72年に入社した後藤長八(元専務)も40台半ばの島村社長の経営理念と向学心に相当な感銘を受けている
能力が高い大卒社員たちに徹底的に仕事を任せる
モチベーションをあげながら、お互いに競い合わせる
正直な商売、公正な競争、比類なき向学心
しまむらの社風に同調した人たちが社員として残っていった

71年(昭和46年)、日の出の勢いのイトーヨーカドーは、19店舗で売上高は350億円
3店舗で売上高6億円のしまむらとは、世間の評判も業績も雲泥の差があった
廣瀬は、当時を思い出して、いまでも身のすくむ思いをすることがある
東松山駅前にイトーヨーカドーが出店してからは、どの商品も値段を半分に落としても売り負けてしまうのである
ペガサスクラブのセミナーででチーフコンサルタントの渥美俊一から聞いた「上限プライスカット」の理論が脳裏をよぎった
上限プライスカットの理論とは、ある価格以上の商品は一切、売り場におかない、割り切った商品構成を指している
安さを演出するために、競合企業の通常売価の半分以下の商品しか売り場におかないという価格設定の方法である
恒俊と廣瀬が行き着いた結論は、イトーヨーカドーで売られている値段の3分の1でワンピースを売ることだった
たしかに販売数量は増えるのは間違いない
しかし、粗利益が25%しか稼げない
年商6億円、借入金3億円の会社である
本当は、経営的には苦しいのである
しかし、当面は、粗利を削ってでも、ディスカウント路線で乗り切っていくしかない

イトーヨーカドーは、東京下町の洋服店「羊華堂」から総合スーパーに転じた企業である
昭和40年代には、首都圏で店舗網を拡大していた
この時期は特にしまむらのテリトリーである埼玉、群馬方面など北関東に向かって店舗網を広げていっていた
伊藤雅俊社長は、恒俊と同じ年齢で46歳だった
同社は、ダイエー、西友、ジャスコと並んで、日本の総合スーパーの先駆者である
衣食住の全てをカバーする、総合的な品揃えの店だったが、しまむらとバッティングする衣料品に特に強みを持っていた
71年(昭和46)ごろ、イトーヨーカドーの店舗イメージは、三越や高島屋、伊勢丹など、百貨店と肩を並べるほどに高かった
イトーヨーカドーのおしゃれな洋服のデザインは、首都圏に住む中高生など、主婦以外の若者からも絶対的な支持を集めていた
そんなわけで、地方のディスカウント衣料スーパーだったしまむらが、イトーヨーカドーと互角に渡り合うためには、圧倒的な安さを提供するしかなかった


孫正義 インタビュー

http://kigyoka.com/public/kigyokaprize/speech07_1.jsp


競争力には二つのキーワードがあります。進化の源泉である「スピード」(物を運ぶ速さ)、普及の源泉である「コスト」(価格)です。そして今、デジタル情報革命の時代を迎えた日本のインフラのスピードは、二番手の欧米に対し百倍、価格は五十分の一。これは決定的な事件 です。かつて歴史でナンバーワンになった国は、その時代でのスピード・コストがナンバーワンのインフラを手に入れて国際競争力を持ってきました。ただ、日本は数千年の歴史の中で、一度として世界一のインフラを手にしたことがなかった。しかし今、日本は二十一世紀で最も重 要なデジタル情報社会のインフラを持っているのです。

もちろんこれは偶然ではありません。NTTが情報社会のインフラを担っていた百年もの間、日本の電話は世界一高く遅いと言われてきました。私はそれが悔しかった。ヤフーやイー・トレード証券を創業するなど努力しましたが、いかんせんインフラが高い遅いでは話にならない。 それで、世界一スピードが早く、価格が世界一安いブロードバンドを作ろうと決意したのです。もちろん、多くの方に「なんと無謀な戦いに手を出すのだ」と忠告を受けました。相手は社員だけでも二十万人を擁する、日本屈指の強大な会社です。しかし私は百年に一度は勝負すべき 時があると思った。自分の事業家としての命運を懸ける!そんな決死の覚悟でこの戦いに突入したのです。

勝算はありました。ソフトバンク本体がインフラの先行投資で始め数年間大赤字となり、競合他社が価格で対抗してきても、日本のブロードバンド環境が世界一になれば、ヤフーで事業を拡大することができる。グループ全体で考えれば、収益は上がるはず。そう信じ、前代未聞の 三年連続一千億円の赤字を出しつつ戦ってきたのですが、おかげさまで今年、ブロードバンドで利益が出る目処が立ちました。苦しい先行投資の時期は越えました。今後はこのインフラを最大限に活用し、インターネットユーザーにデジタル情報社会におけるサービスを続々提供でき ると考えています。

「ソフトバンクという一つの会社にまとめた方が経営効率がいいのではないか」とよく言われますね。それでもこの経営スタイルを貫いているのは、三十年のスパンで見れば非効率でも、三百年のスパンで考えると一番安全、かつ一番拡大できる方法だからです。ど のくらいの単位でモノを見るかによって、経営スタイルは変わります。

しまむらとヤオコー 小川孔輔

しまむらとヤオコー 小川孔輔


多くの小売業は、デフレ経済の環境下、低価格のプライベート商品開発と有名メーカーのナショナルブランド製品の価格引き下げに活路を見出している
ヤオコーは、そうしたディスカウント路線とは一線を画してきた
人々に豊かな食生活を提案する価値提案型企業としてのポジションを崩さず、増収増益を確保してきたのである同社の経営陣が主張している個店経営という経営理念も、チェーンストア経営の常識とは反する考え方である
戦後、小売業経営者はアメリカ流のチェーンストアオペレーションに多くを学んできた
売り場レイアウトや商品陳列を標準化して、店舗の管理運営方式を共通化する
圧倒的な安さと低コスト経営で、高収益企業になることを目指してきた
ヤオコーの経営陣がいま目指している個店経営はそれとは逆である
できるだけ店側に自主性を持たせて、店ごとに品ぞろえを変えることをいとわない
生鮮品や惣菜などの扱いについてはセントラルキッチン方式、一辺倒にはしない
あえて、作業効率を犠牲にしてでも、店内で食材を加工できる余地を残しておく
惣菜のメニュー開発や商品のプレゼンテーションには、パート従業員の知恵を積極的に活用している
出店に関していえば、しまむらに比べて、ヤオコーの成長速度はゆるやかである
店舗の出店地域はいまでも関東圏にとどまっている
2008年(平成20)に店舗数は100店の大台に乗ったが、東京都と神奈川県に出店したのは最近のことである
ヤオコーの長期経営計画には、「20年後を目処に500店舗、売上高1兆円企業を目指す」とあるが、関東圏以外に広げる計画はいまのところない

92年以降に出店したヤオコーの店は、ほとんどがいまでも営業を続けている
2009年(平成21)3月期に3店舗を閉鎖しているが、その場合でも、老朽化して手狭になった店舗施設を増築するためか、自社競争を避けるための店舗移転である
しまむらも店舗の改装をすることはあっても、一度出店した店をむやみに閉じることはしない
この10年間で店を閉じたのは、わずか7店舗である
しまむらと比較されることが多いユニクロは、出店面では多産多死であるといわれている
2009年9月から2010年6月までの10ヶ月に限ってもユニクロは76店舗を開店して36店舗を閉鎖しているちなみに2010年6月の国内ユニクロの店舗数は790店である

しまむらとヤオコーには共通する点が多い
地方の小都市出身の企業であること、戦後すぐに法人化して家業の店から脱皮したこと、いち早くセルフサービス方式を導入して、それぞれが衣料品と食品の専門チェーン小売業に転身したことなどである
その後、長い時間をかけてゆるやかに成長してきたことや、女性パート社員の活用が巧みであることも、両社に共通の特徴である
ところが、両社の経営のあり方は、根本的なところで大きく違う
ヤオコーは、川野家の親子三代が事業を継承してきたファミリー企業である
現在でも、同族のリーダーたちがヤオコーの経営を支えている
しまむらの経営陣はそれとは対照的である
バトンをつないできた歴代3人の最高経営者(島村恒俊、藤原秀次郎、野中正人)には血縁関係がまったくない
ヤオコーは、現場に権限を委譲する分権的な経営を特色としている
しまむらの強みは、標準化されたストアオペレーションにある
注意深くデザインされた効率的な情報物流システムがこれと連動している
商品調達も本部主導で、店舗運営も集権的になされている
そして、完備された作業マニュアルの存在が集権的なファッション衣料品事業の仕組みを支えている


見限られるのは誰 山口巌

http://lite.blogos.com/article/29435/


日本にどうしても居なければならない人種とは、「政治家」、「公務員」、「農協職員」、「農家」、「生活保護の受給者」、「高齢者」そしてマスコミ位で、要は基本「税を食い物にする」人種とその寄生虫である。

20120117エコノミスト

20120117エコノミスト

■宮原耕治 日本郵船会長
外航運賃はすべてドル建てなので、円高はただちに響く

■豊田彰男 トヨタ自動車社長
日本で作ったものが日本で売れれば円高の影響もない
まずは内需拡大が必要だ


20111003 日経ビジネス

20111003 日経ビジネス

■朝田照男 丸紅社長
今後20年先は、黙っていても新興国の世界になることは間違いないだろう
日米欧がなくなってしまうわけではないが、先進国の安定成長と新興国の高成長が併存する時代になる
世界経済の成長に対する寄与率は、新興国で3分の2を占めると見ている
2000年に2億人だった中国を含むアジアの中間所得層は2020年に、20億人に増えるという
これは欧州を抜いてアメリカに次ぐ購買力だ
贅沢品や耐久消費財も含め、我々は消費地としてのアジアを常に念頭に置いて戦略を立てなければならない
こうした中、資源価格はこれまでのような急激な右肩上がりも、大暴落もなくなると考えている
中国、インド、東南アジア、南米、アフリカと需要は安定して伸び続けるが、一方で供給側も新規開発を急いでいる
2012〜2013年は供給の底になるが、2014年以降は資源メジャーの新規開発が始まる
穀物は現在は需給バランスがマッチしているが、食の西欧化で肉食が増えれば需給は逼迫するだろう
1トンの牛を育てるためには、その13〜15倍の穀物が必要で需要が爆発的に伸びる可能性は高い

■岡藤正広 伊藤忠商事社長
儲けの秘訣は、「お客さんに儲けてもらうこと」
自分が儲けるためには、パートナーであるお客さんが儲かる仕組みを考えないといけません

会社にとって本当のお客様は誰か
もしかしたら、本当のお客さんは、目の前の相手ではない場合もあるんです
僕が紳士服の生地を海外から輸入する仕事をしてた時代ね。英國屋というテーラーさんが東京の帝国ホテルで生地の展示会を開いたんです
紳士服の生地の展示だから当然、会場に足を運んでくるのは男ばかり、僕は最初そう思っていた
ところが、実際には奥さんや娘さんが大勢いたんです
想像と違ったから、驚いたけれど、そこからぼくは生地の本当のお客は女性じゃないか、ということを知ったわけ

単にお客さんの儲けだけを追求していれば、いいわけでもないんです
重要なのは、その儲けの仕組みを自分が主導できるかどうか
儲かる話を常にお客さんから求められるようにせないかんのですな

お客さんが儲かるようになると、商社はいらないよとなってしまう
逆に、あんまり主導権を握り過ぎると、お客さんの儲けが減っちゃう
ですから、商社は時代によって、お客さんとの立ち位置をどんどん変えています
そうやって、お客様の儲けと主導権のバランスを取ってきたんですね

■奥正之 三井住友フィナンシャルグループ会長
組織はどうしても自己増殖を始めます
その結果、部門にとっては最適でも全体のためにならないという現象が起きるのです
いわゆる、「部分最適、全体不適合の罠」に陥らないためにはトップ自らの目によるチェックが常に必要です
現場重視という言葉がありますが、それでは足りません
組織の壁を作らないためには、まさに現場直視が重要なのです

20110926 日経ビジネス2

20110926 日経ビジネス2

■重光昭夫 韓国ロッテグループ会長
今後10〜20年の世界経済の伸びのほぼ7割がアジアです
目標を策定していた2008年時点で、2030年の世界経済の状況を試算したのですが、当時はEUとアメリカを足すと世界経済のおよそ5割でした
日本を含めたアジアは26%
それが2030年には逆転します
世界経済の46%くらいがアジアで、EUとアメリカを合わせて26%くらい
世界の成長センターは今後間違いなくアジアに移ります
経済が伸びるところ、伸びそうなところに賭けていくことが重要なのではないでしょうか

アメリカ型の経営モデルでは、企業の専業化、一つの業態に集中していくことがいいと言われてきました
ただ、アジアは違うと思うんです
なぜかというと、アジアの中でも新興国は、やっぱり低信頼性社会なんです
なにが起こるかわからない
例えば、あるビルを現地の建設会社に頼んだとして、本当に手抜きなくやっていると誰が証明できますか
たとえ自社で建設せずに現地企業に頼むにしても、発注するうえで我々が分かっていることが大切なんです
問題なく経営していくには、どうしても、ある程度の垂直統合が必要になります色々な分野の事業を持っていて、把握することが大切なんです
リスクヘッジになりますから
ただ、あまり関係のない電子機器や自動車はやりません
ある程度関連性のある事業です

韓国企業はオーナーが絶対的な権限を持って、大きな決断ができます
グローバル展開の差は、企業のリーダーシップにつきると思います
経営者の能力や実力は日本もあまりかわらない
あとはリーダーシップを持ってやるかやらないか
ユニクロやキャノンなどの好調な会社の多くはオーナーやそれに近い経営者のかたが、がちっと経営の主導権をにぎって、じぶんでぱっぱっときめていっている

■ノリエルルービニ
最新の経済データは、先進国が再び景気後退に陥りつつあることを示している
特に最近の金融市場は、2008年にリーマンブラザーズが破綻した時以来の緊迫した状況を見せており、今や経済及び財政の危機は、前回の金融危機よりはるかに深刻なものになるリスクが大きい
というのも今回の危機は、民間部門だけでなく、破綻寸前の国家をも巻き込んでいるからだ
では、新たな経済収縮の影響を最小限にとどめ、深刻な恐慌や金融システムの崩壊を回避するには、どうすればよいのか

まず私たちは、財政破綻を回避するための緊縮政策は、生産活動に対して景気後退というマイナスの影響を与えることを認識すべきである
したがって、ユーロ圏周辺国が緊縮財政の実施を余儀なくされるのであれば、短期的な景気刺激策を打つ余裕のある国、つまり、アメリカ、イギリス、ドイツ、そして日本は刺激策を実行し、自国の緊縮策の実施は延期すべきだ
公的なインフラ整備を推進するための資金提供に特化した銀行の創設も必要だ

第二に、問題が流動性の不足ではなく、過剰債務と破産である場合、金融政策では効果に限界がある
したがって、中央銀行は量的緩和だけでなく、民間にかわってリスク資産を買いいれることも検討すべきである
ECBは、利上げという間違った決定を翻すべきだ
FRB、日本銀行、イングランド銀行、スイス国立銀行も、一層の金融緩和とリスク資産の買い入れが必要だ
モノや労働力、不動産及び商品の市場では早晩、需給が緩み、ディスインフレ圧力によりインフレは深刻な問題でなくなる

第四に、現時点で支払い能力を維持している国に対して、大規模な流動性を供与することも必要だ
こうした国が市場から資金を調達する際、上乗せ金利が上昇し、そのために資金調達の道が閉ざされて、流動性の不足から破綻する事態を防ぐためだ

第六に、、、
ユーロ圏内で競争力を回復する方法として、以下3つの選択肢があるものの、いずれも実質的な通貨の切り下げが必要で、実現可能性は低い
1. ユーロを米ドルと同じレベルまで切り下げる
2. 構造改革を加速し、同時に賃金の上昇を上回る生産性の向上を図ることで、単位労働コストを大幅に低減させる
3. 例えばギリシャで、5年間で計30%に達する物価及び賃金の下落を図る
だが、これは5年間の社会的に受け入れ難い不況を意味する
実現できそうに思えても、この規模のデフレは債務規模を実質30%も増やすため、結局同国の破産につながるだろう
いずれの選択肢も機能しない以上、ギリシャ及びほかの数カ国にとって残る選択肢は、ユーロ圏を離脱することだ
昔の自国通貨に戻り、その通貨を大幅に切り下げない限り、競争力と経済成長を取り戻す方法はない
旧自国通貨の切り下げにより貸借対照表上のユーロ建て債務が受ける影響については、きちんとした議論を踏まえ、ユーロ建て債務を旧自国通貨に転換する必要がある

第七に、先進国で失業率が高く経済成長が停滞しているのは構造的な理由による
競争力を持つ新興国の台頭もその一つだ
こうした大きな変化に対する正しい反応は保護主義ではない
必要なのは質の高い教育、職業訓練、人材の向上、インフラ整備、代替可能あるいは再生可能エネルギーなどへの大規模な投資によって、競争力と雇用を復活させるための中期的な計画だ

第八に、、、
中国のような輸出に過度に依存している国は、国内需要と消費を喚起すべく、通貨の大幅な切り上げを含む改革を加速すべきだ


今直面しつつあるリスクは穏やかな二番底などではない
ユーロ圏の危機が制御不能となり、世界の金融システムの崩壊につながれば、世界大恐慌の再来になりかねない強烈な経済収縮である


20110926 日経ビジネス

20110926 日経ビジネス

■ユニクロ
「中国からインドにかけては有望な市場です。今後10年で10〜20億人が中産階級になる。アジアは10年後にはEUのようになります」
ファーストリテイリングの柳井正CEOは、熱をこめて海外市場の可能性を語った
「ゴールドラッシュなんです。全員で掘りに行くしかない」
年間200〜300店ペースで海外出店を進める
アジア各都市に旗艦店を出店
欧、米、中国、アジア、それぞれに地域本部を開設する
攻めの一手で書き連ねられた配布資料に添えられた言葉は、「winner takes all(勝者がすべて取る)」


■ソニー SONY
ソニーはこのほど同社の各種ネットワークサービスの総称を「ソニーエンタテインメントネットワーク(SEN)」に決定した
このSENこそ、新体験を次々と提供し、継続的にお金を生み出すための仕組みだ
中核となるのが2006年に始めたPS3向けのオンラインゲームサービス「プレイステーションネットワーク(PSN)」
現在PSNの登録件数は世界中で8000万人に上り、増加中だ
PSNの顧客基盤を足がかりに昨年、音楽や映画の配信サービスを始めた
利用者は同じアカウントでオンラインゲームのほか、映画や音楽も楽しめるようになった
対応端末は、PS3やPSPのほか、ブラビア、バイオ、ソニータブレット、エクスペリアなどソニーグループのあらゆる製品に広げた
今後は、電子書店「リーダーストア」や、ソニー製デジカメわビデオカメラ向けのクラウドサービス「パーソナルスペース」をSENに統合し、アカウントを共通化する

ネットワークサービスを中核とする事業戦略は、ソニーが本格的に取り組む以前から、アップルが強力に推し進めていた
アップルが音楽配信サービス「iTunes Music Store(現在iTunes store)」を開始し、飛躍のきっかけを作ったのは2003年だった
現在ではこれらの端末から音楽のみならずゲーム、映画、電子書籍などの配信サービスをiTunesの共通アカウント1つで利用できる
iTunes登録件数は既に2億5000万に達し、8000万件を抱えるSENを凌駕する

■平井一夫ソニー副社長
統合UX(ユーザーエクスペリエンス顧客体験)でソニーの
描く世界を点(製品)ではなく、面(製品群)で展開します
プレイステーションネットワーク(PSN)で培った膨大な顧客基盤、ノウハウ、インフラを活用して、様々なソニー製品をネットワークにつないでいきます
当然きちんとARPU(1契約あたりの月間平均収入)をモニターしながら運営します

■片山幹雄シャープ社長
液晶テレビはくだらないビジネスです
(単品売切り型は)間違っています
今のビジネスモデルをこのまま続けていれば、いずれ行き詰まります
太陽電池事業で同じ轍を踏んだらおしまいだと思い、数年前からビジネスモデルの転換を図っています
(価格下落の著しい)60型未満の液晶パネル生産を減らし、60型以上を増やします
60型以上のパネルを搭載した液晶テレビは10万円以上します
決して安いわけではなく、本当に欲しいという消費者が購入しています
消費者に満足を提供している商品だと思っています
60型以上の液晶パネルは電子黒板やデジタルサイネージ(電子看板)にも搭載します
(教育や広告などの)コンテンツ事業で、売った後も顧客との接点を持つことができる、楽しみな商品です
販売台数を伸ばそうと準備しているところです
(価格下落が激しい)中ぐらいのサイズ(20〜40型)の液晶テレビ事業に対しては腰が引けており、台数シェアを追わないことにしました

フリースタイルアクオスはテレビというより、実はインターネットにつながるディスプレーだと考えています
ネットを通じてコンテンツサービスを提供していきます
いずれタッチパネルをつけるかもしれません
(放送を見るだけの)単純な液晶テレビの時代はもう終わりました

問:太陽電池事業ではモジュールの販売にとどまらない幅広いビジネスを志向していますが、なぜですか
答:単に太陽電池モジュールを販売するだけでは顧客に満足を提供できないからです
電力を生み出して供給するところまで用意してこそ初めて価値が生まれます
現在、(太陽電池で発電した電気を家庭で使えるように変換する)「パワーコンディショナー」や(消費電力が一目でわかる)「スマートタップ」など周辺機器の内製化を進めています
システムの一部に過ぎないモジュールだけを売っていては、いずれ先が見えてしまいますから

現在、タイで世界最大級のメガソーラーを建設中です
当然、太陽電池モジュールを並べるだけでは発電できません
モジュールの設置角度の設定から複雑な配線、電力調整などを経て送電網に接続するところまで、すべてをシャープが手がけています
これはそう簡単に他者が真似できることではないでしょう

昨年には大規模な太陽光発電所の開発を手がける米リカレント•エナジーを買収しました
今年4月には、イタリア最大の電力会社エネルと共同で太陽光発電事業にものりだした
太陽電池モジュールだけを売るのではなく、太陽電池が生み出す電力まで売る会社を目指しています
ソーラーエネルギーの「トータルソリューションカンパニー」への脱皮です


液晶テレビ市場の冷え込みで経営が窮地に陥るのが先か、継続的に収入が得られるトータルソリューションビジネスへの転換が先か
シャープは再起に向けて時間と競争している


■パナソニック
「家電製品や住宅設備機器、業務用機器を単品ではなくまるごとトータルソリューションとして提案し、メンテナンスや交換でお客さんと息の長いお付き合いをし、生涯顧客になってもらう」
これはパナソニックの大坪文雄社長が、
最近よく口にする言葉だ
ソニーがデジタル製品を核にしたネットワーク戦略に焦点を定め、シャープが太陽光ビジネスに注力するのに比べ、パナソニックのまるごと戦略は、これまで弱点と言われていたコングロマリット(複合企業)を生かそうとする点が特徴だ
カバーするのは半導体やデジタル家電、白物家電に始まり、事務機器、通信機器、ビルシステム、生産設備、住宅設備までと幅広い
このためパナソニックの悩みの種は常にグループ体制の再構築だった
2000年に就任した中村邦夫社長は、破壊と創造を掲げた
具体的には、それまでの硬直化した事業部制を廃止し、松下通信工業など上場5子会社を吸収するなど求心力を高め、プラズマや液晶などの薄型テレビに集中投資する体制に変えた
大坪氏はその路線を引き継いだが、薄型テレビの採算悪化という予期せぬ壁に突き当たる
大坪氏がパナソニックを家まるごと、ビルまるごと、街まるごと路線に乗せるには、今一度グループ再構築に取り掛かるほかなかった
それが三洋電機とパナソニック電工の吸収だ

■長榮周作 パナソニック電工社長
パナソニックがまるごとと言い始めたのは2007年ごろからです
背景には薄型テレビ用パネルの急速な価格下落があり、単品販売からソリューション事業へ移行しなければ生き残れないという危機感がありました
一方でパナ電工は昔から、電気工事会社や工務店を相手にビルやオフィス、住宅の電気設備機器を販売し施工し、後々の保守やメンテナンスまで携わる息の長い商売をしてきました
まるごとというキャッチフレーズができる前から、そのDNAを持っていたのです
例えば工務店は家を建てる時に、いろんな材料を調達します
当社は屋根、外装、内装、床、壁、水回りまですべて扱っています
電材も配線、照明、分電盤まで当社の商品を使えば家ができるという品揃えです
まるごとには、3つの段階があると考えています
第一段階は品揃えです
その次の段階はそれらをつなげることによる付加価値の提供です
コンビニを例に取ると、節電のために、お客さんが少ない深夜には照明を落とす、ショーケースの開け閉めが多い時間帯は温度を下げる、空調を下げたときはショーケースの温度をあげるといったきめ細かい制御が一カ所でできるようになります
家庭も同じでパナソニックの家電製品を使っていればトータルで省エネ制御ができる
第三段階は時間軸でのまるごとです
施工後の保守•メンテナンスだけでなく、運用面でアドバイスもする
寿命になったら、最適な商品に置き換えを提案する
顧客とのコミュニケーションを絶やさず、持続的にサービスを提供する戦略です
太陽電池は現在シャープ、京セラに続いて3位ですが、2012年度にはシェア1位を目指します
リチウムイオン蓄電池も韓国サムスン電子に奪われた首位の座を奪還しなければいけません
単品の強さがあってこそ、まるごとが生かされると考えています

■日立、東芝、三菱電機
製品単体ではなくシステムの販売で安定した収益を稼ぐ
パナソニック、ソニー、シャープといった弱電メーカーが目指すトータルソリューション型事業の強化という点では、重電メーカーと呼ばれる日立、東芝、三菱電機が先行する
重電三社はこれまで、競争力の上がらなかった弱電分野の事業を整理
選択と集中で社会•産業インフラ事業の強化を進めてきた
日立は情報•通信システムや社会•産業システム、電力システム、交通システムなどを中核とした社会イノベーション事業を推進している
東芝は東日本大震災に伴う原発事故後も、原子力を事業の柱に据え続ける
三菱電機の稼ぎ頭はFA(ファクトリーオートメーション)システムだ
弱電メーカーがコンシューマ向けに製品を大量生産•販売しているのに対し、重電三社は東芝のNAND型フラッシュメモリーなど例外はあるものの、主に企業•官公庁といった法人顧客を相手に、顧客の要求に応じたカスタム製品•サービスを提供している

日立や東芝、三菱電機が手がける情報•通信やFA、電力、鉄道といった事業は、法人顧客が求める仕様に合わせてシステムを建設•開発するトータルソリューション型の事業だ
法人顧客とプライムコントラクター(元請け)契約を結べば、システム設計からハードウェア•ソフトウェアの選定•調達、プラント建設•システム開発までを一貫して請け負え、高収益を確保できる
うまみはそれだけではない
完成させたシステムインフラの運用•保守サービス料金を法人顧客から複数年にわたって安定して徴収できる
仮にプライムコントラクターになれなくても各種システムを建設•構築するのに必要なハードウェア(サーバーやタービン、制御装置、鉄道車両など)やソフトウェア(業務用ソフトや運用管理ソフトなど)を提供できれば、メーカーは法人顧客から年間サポート料金を得られる
社会•産業システム事業とは、売った後も安定収入が入ってくるストック型ビジネスだ
さりとて国内重電三社が安泰とはいえない
社会•産業システムの分野でGE、独シーメンス、IBM、仏アルストムや欧州のABBなど強豪が多い

20110919日経ビジネス

20110919日経ビジネス

■TOC(制約理論)
TOCの基本は、工場における製品の生産など一連の流れの中で、ボトルネック(制約)になっている部分を見つけ出し、そこに集中して全体最適を目指す点にある
例えば、ある一つの製品を生産するプロセスに複数の工程があったとしよう
各工程で改善活動を行って生産性の向上が見られても、ボトルネックが残っていれば、そこが足を引っ張って全体の生産性は高まらず、製品の生産性も増えない
改善活動が部分最適にとどまり、全体最適に至っていないからだ
TOCではやみくもに改善活動を行わず、ボトルネックの部分だけに集中して生産性を高める
そうすれば、全工程で改善を行うよりもはるかに少ない労力で、確実に全体の生産性を高め、製品の生産量を増やせる
すなわち、ボトルネックに集中することによって部分最適に陥ることなく、全体最適を実現できるというわけだ

オムロン大連で主に取り組んでいるのは、「ダイナミック•バッファー•マネジメント(DBM)」と呼ばれる在庫管理手法による改革である
DBMでは、製品の需要を予測する行為をボトルネックととらえ、在庫管理の全体最適を図る
まず製品の不確実な需要変動に対応するためのバッファーとして、品目ごとに許容し得る在庫量を定める
この許容在庫量を3等分し、上から緑、黄色、赤のゾーンに色分けする
そして製品を補充する時点で、実際の在庫量がどのゾーンにあるのかをチェックする
実際の在庫量が緑のゾーンにとどまっておらず、在庫に余裕があることを意味する
在庫が余っているのだから、補充する必要はあまりない
補充在庫を減らすために許容在庫量を引き下げる
実際の在庫量が中央の黄色のゾーンの中で推移していれば、製品の需要と供給のバランスが取れている
一方、実際の在庫量が赤のゾーンに入ってくると、製品の売れ行きが良く、在庫が逼迫していることになる
赤のゾーンに一定期間とどまるなら許容在庫量を引き上げて、補充量を増やす
こうした作業をダイナミックに繰り返すことで、商品の需要変動に許容在庫量、ひいては実際の在庫量が連動するようになる
その結果、過剰在庫や欠品を防げるようになる

オムロン大連では90年代にトヨタ生産方式を導入し、生産計画に応じて必要なものを必要なだけ生産することに取り組み、在庫削減に努めてきた
しかし、一時的に在庫は減っても、いつの間にか在庫が増えてしまう
一方で欠品もなくならない
原因がわからなかったが、DBMの学習を通して解明された
従来は世界各地における精緻に積み上げ、その結果に基づいて月ごとに生産台数が平準化する形生産計画を作成していた
そうすれば、必要なものを必要なときに必要なだけ生産することにつながるという前提にたっていた
しかし、この前提が誤っていたことに気づいたのである
問題は予測した需要が往々にして外れるということだ
その原因は、需要を予測してから生産計画に沿って製品を生産し販売するまでのタイムラグにある
販売する時点での実需が予測を下回れば在庫が増え、逆であれば欠品が生じるというわけだ
実際DBMを導入する前には、そのタイムラグは13週間以上もあった
需要の予測が外れるなら、予測すること自体をやめて、製品が売れた分だけを素早く補充するやり方に改めればいい
そうすれば、過剰在庫も欠品も防げる
このような在庫管理を実現する手段としてDBMを導入した
もっともDBMによる在庫管理を効率的に実施するには、製品の供給リードタイムを大幅に短縮することが必要とされる
ただし、供給リードタイムが13週間以上もかかったことには、それなりの理由があった部品の中に発注してから納品されるまでに12週間以上かかるものが含まれていたからである
すなわち、納期の長い部品が、製品の供給リードタイムを短縮するうえでのボトルネックになっていたわけだ
納期の長い部品を供給している部品メーカーに対して、当社が引き取ることを確約して、部品の完成品の在庫と材料を抱えてもらったのである


20110919日経ビジネス

20110919日経ビジネス

■TOC(制約理論)
TOCの基本は、工場における製品の生産など一連の流れの中で、ボトルネック(制約)になっている部分を見つけ出し、そこに集中して全体最適を目指す点にある
例えば、ある一つの製品を生産するプロセスに複数の工程があったとしよう
各工程で改善活動を行って生産性の向上が見られても、ボトルネックが残っていれば、そこが足を引っ張って全体の生産性は高まらず、製品の生産性も増えない
改善活動が部分最適にとどまり、全体最適に至っていないからだ
TOCではやみくもに改善活動を行わず、ボトルネックの部分だけに集中して生産性を高める
そうすれば、全工程で改善を行うよりもはるかに少ない労力で、確実に全体の生産性を高め、製品の生産量を増やせる
すなわち、ボトルネックに集中することによって部分最適に陥ることなく、全体最適を実現できるというわけだ

オムロン大連で主に取り組んでいるのは、「ダイナミック•バッファー•マネジメント(DBM)」と呼ばれる在庫管理手法による改革である
DBMでは、製品の需要を予測する行為をボトルネックととらえ、在庫管理の全体最適を図る
まず製品の不確実な需要変動に対応するためのバッファーとして、品目ごとに許容し得る在庫量を定める
この許容在庫量を3等分し、上から緑、黄色、赤のゾーンに色分けする
そして製品を補充する時点で、実際の在庫量がどのゾーンにあるのかをチェックする
実際の在庫量が緑のゾーンにとどまっておらず、在庫に余裕があることを意味する
在庫が余っているのだから、補充する必要はあまりない
補充在庫を減らすために許容在庫量を引き下げる
実際の在庫量が中央の黄色のゾーンの中で推移していれば、製品の需要と供給のバランスが取れている
一方、実際の在庫量が赤のゾーンに入ってくると、製品の売れ行きが良く、在庫が逼迫していることになる
赤のゾーンに一定期間とどまるなら許容在庫量を引き上げて、補充量を増やす
こうした作業をダイナミックに繰り返すことで、商品の需要変動に許容在庫量、ひいては実際の在庫量が連動するようになる
その結果、過剰在庫や欠品を防げるようになる

オムロン大連では90年代にトヨタ生産方式を導入し、生産計画に応じて必要なものを必要なだけ生産することに取り組み、在庫削減に努めてきた
しかし、一時的に在庫は減っても、いつの間にか在庫が増えてしまう
一方で欠品もなくならない
原因がわからなかったが、DBMの学習を通して解明された
従来は世界各地における精緻に積み上げ、その結果に基づいて月ごとに生産台数が平準化する形生産計画を作成していた
そうすれば、必要なものを必要なときに必要なだけ生産することにつながるという前提にたっていた
しかし、この前提が誤っていたことに気づいたのである
問題は予測した需要が往々にして外れるということだ
その原因は、需要を予測してから生産計画に沿って製品を生産し販売するまでのタイムラグにある
販売する時点での実需が予測を下回れば在庫が増え、逆であれば欠品が生じるというわけだ
実際DBMを導入する前には、そのタイムラグは13週間以上もあった
需要の予測が外れるなら、予測すること自体をやめて、製品が売れた分だけを素早く補充するやり方に改めればいい
そうすれば、過剰在庫も欠品も防げる
このような在庫管理を実現する手段としてDBMを導入した
もっともDBMによる在庫管理を効率的に実施するには、製品の供給リードタイムを大幅に短縮することが必要とされる
ただし、供給リードタイムが13週間以上もかかったことには、それなりの理由があった部品の中に発注してから納品されるまでに12週間以上かかるものが含まれていたからである
すなわち、納期の長い部品が、製品の供給リードタイムを短縮するうえでのボトルネックになっていたわけだ
納期の長い部品を供給している部品メーカーに対して、当社が引き取ることを確約して、部品の完成品の在庫と材料を抱えてもらったのである


10年後も絶対に生き残っている会社

あなたの会社は大丈夫? 10年後も絶対に生き残っている会社 2012年版【前篇】
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/31484?page=2

現代ビジネスの記事で大変びっくりしました

20年後も絶対に生き残っている会社(2011年の記事)
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1823?page=5

去年2011年に「20年後も絶対生き残る会社」を紹介している記事があったのですが、そこで東電などの電力会社は評価が高く東電は14点満点中10点でした
それが、今年2012年の「10年後も絶対生き残っている会社」では東電は0点です
他の電力会社も低評価です
採点する人が数人変わっているとは言え、去年に高評価をつけた人がなぜか今年は低評価をつけています、、
なぜ20年後は生き残るのに、10年後は生き残らないのでしょうか?
逆ならまだわかりますが、、

そもそも10、20年に意味がないのでしょうね。来年は100年後かもしれません。そしてまた変わっているんでしょうね評価、、

そもそもこの記事は、なんのためにつくられているのでしょう?
同じ評価者が毎年やる必要は全くないと思うのです
数十年単位の長期的な視点での評価が一年後に変えられていては困ります、、
もしも同じ人を評価者に持ってくるなら去年との変化を記事内で明示的に示して、どうして変更したのか突き詰めなければ全く意味がないと思います
それをやらないなら評価者は毎年全員変えるべきだと思います
まあ、きっとそんなに頭つかって考えてないと思うし、なんとなく今年もやってる参考にするに値しない記事だと思います
ただ、去年と比べるとひどくていちゃもんつけたくなりました



井上雅博 ヤフー社長 2003年インタビュー

http://business.nikkeibp.co.jp/article/person/20090624/198401/?P=1


 東京理科大学理学部数学科を卒業後、1979年にパソコンベンチャーのソード電算機システムに就職した。87年にソフトバンクのシステム関連会社であるソフトバンク総合研究所に転職し、92年にソフトバンクに移った。96年からヤフーを率いることになったが、「あくまでも事務的に任されただけ」(井上)。孫も、「たまたま井上さんが横にいたから、『ちょっとやって』と頼んだだけ」と言う。


 ゲームやSFをはじめ、井上は遊びが好きだ。ミニカーがたくさん並ぶ社長室は、社員から「おもちゃ部屋」と呼ばれる。ヤフーに電話をすると、保留の時にジャズ音楽が流れる。曲は井上が毎月選ぶ。

 休日も家で過ごすことが多い。「ジャズを聴いたりプラモデルを作ったりDVDを見たり、忙しいんだ」と語る。1部上場企業の社長といえば、情報収集などのためにゴルフや社交に精を出す姿が浮かぶが、井上のスタイルは少々異なる。

 「井上さんは、楽しみながら仕事をするという雰囲気を作ってくれる」と殿村は言う。趣味に生きる井上の姿は、ヤフーという場で自らのやりたいことを実現しようと集まってくる若い社員の活力を生み出している。

中国は先進国になれない

 http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2012/01/post-2390.php



 一見すると最先端技術の塊のような太陽光発電パネルの製造も、中国の手に掛かれば人件費の安さに依存した労働集約型のビジネスモデルになる。サンテックの例は、先進国になれるのかそれとも新興国止まりなのか──大きな岐路に立つ中国経済の姿を鮮明に映し出している。

 決定的な鍵を握るのは、2015年をピークに生産年齢人口(15〜64歳)が減少の一途をたどる急速な少子高齢化と、それに対する産業や経済の適応力だ。

 一見、中国は今の勢いで先進国の仲間入りを果たすかのように見える。中国は昨年、GDP(国内総生産)で日本を抜き世界第2位の経済大国に躍り出たばかり。うまくすれば、1人当たりGDPでも現在の4000ドルから、世界銀行による「高所得国」の定義である1万2000ドルを達成するかもしれない。

「3人でできる仕事を10人でやりながら競争力を保っているということは、いま進めている自動化が進めば、労働人口が減ってもなお競争力が増す可能性があるということだ」と、先のアナリストは言う。

 一人一人の生産性が上がれば、生産年齢人口が減っても中国は高成長を維持し、自動化であぶれた労働者も新たな雇用で吸収できる。結果的に格差は縮小し、誰もが衣食住足りて文化的な生活を送る先進国のイメージに近づくことも不可能ではない。

 だが、そう楽観的でないもう1つのシナリオもある。サンテックのクリーンルームのように、中国経済がいつまでも安価な大量の労働力頼みに終わるという可能性だ。資本集約型への生産シフトや技術革新による生産性の向上が達成できなければ、生産年齢人口が減っていくなか、これまでのような成長はとても望めなくなる。見掛け倒しを露呈した高速鉄道の事故は、氷山の一角かもしれない。

 今のところ現実味があるのは後者のシナリオだ。世界銀行は5年ほど前から、中国が「中所得国の罠」に陥る危険性を指摘してきた。1人当たりGDPで見ると、中国は「後開発途上国」「低所得国」の段階を脱して中所得国の位置にいる。「中所得国の罠」とは、次のステージである高所得国になる前に成長が止まってしまうことだ。






中国の「奇跡」への仲間入りは実現しそうにない。資産バブルやインフレ、不良債権問題など長年の懸案ゆえではない。コピー商品と非効率な国有企業が今ものさばり、腐敗が蔓延しているからでもない。

 中国が抱え込んでいるのは、解決困難な構造問題だ。中国は世界で初めて、1人当たりGDPが先進国の水準に達する前に生産年齢人口の急減と急速な少子高齢化を経験する国になる。このことが、克服し難い大きな負担になる。

「人口学的分析では、中国は国民の富裕化より高齢化のほうが急速に進み、社会保障を整える前に高齢化社会に入る。危機的な社会状況だ」と、フランスの人口学者エマニュエル・トッドはロイター通信に語っている。

 決して遠い先の話ではない。大和総研の中国担当シニアエコノミスト齋藤尚登によれば、中国の2桁近い高成長が続くのはあと5年ほどで、その後は次第に減速し、20年以降は5〜6%に落ちる。今なら大量の失業者が出る低成長に中国が陥るのは、インフレのためでもバブル崩壊のためでもなく、10年後には労働力が足りなくなるため、そのレベルの成長しかできなくなるからだ。

 真の豊かさを達成する前に人口が減り始める衝撃の大きさは、前例がないだけにはっきりとは分からない。だが、先進国の仲間入りも時間の問題と思われてきたアジアの超大国のイメージは、少なくとも下方修正する必要があるだろう。

20110905日経ビジネス

20110905日経ビジネス


移民船第一号「笠戸丸」の出航から100年余り
日系人たちは苦難を乗り越え、ブラジルの農業•工業技術の発展に貢献をしてきました
戦前の移民には奴隷同然の扱いを受けた人が多く、お金を稼ぐどころか、借金が膨らむ人が続出しました
日本人は責任感が強く、その分、自殺者も多かったと聞きます
口べただけど、人を裏切らない
約束は守る
その後、日本人の信頼という財産は、同国に進出する日本企業にとって、後押しとなってきました
震災や円高進行を受けて、空洞化論議が熱を帯びています
こんなときに企業経営者が積極的な海外シフトの方針を打ち出せば、国を捨てるかのようにいわれる風潮があります
しかし、本当にそうでしょうか
震災後、多くの国から支援の申し出がありました
彼らが日頃、見ている日本人は、国内に住んでいる人ではなく、現地にいる人たちです
つまり海外に飛び出していった人たちが日本ブランドを向上させ、巡り巡って、日本の復興支援に一役買ったと見ることもできます
日本の経営者はもっと海外展開で成長することが国のためになると堂々と言ってよいと思います
戦前のブラジル移民は、言わば海外への出稼ぎの先駆者

■新浪剛史 ローソン社長
正直にいって個別政策において野田氏の考えと僕の考えで異なる部分もある
しかし、経済成長ファーストという大方針が一致しているのであれば、個別政策に対する小さな違いで政権を否定するようなことはやめたい
何か政策を進める際には、企業や国民の一部が痛みを感じることもでてくるだろう
うちとしてもあるかもしれない
しかしその痛みがやがてもたらされる経済成長のためであると納得し、実感できれば、その痛みには耐えようと思う
例えば消費税は上げればいい
5%でも10%でもいい
あるいは個人的には、国内に買い手がいる限りは国債をもっと発行したっていいと思う
ただ、その前提として経済成長か、またはその確信が欲しい、ということだ

TPP導入に対する考え方が、輸出産業関係者と農業関係者とで異なるのは当たり前だ
最初に述べた様に、政策を実行して何かを変えるときには、誰かが痛みを感じるものだ
だが、その痛みに耐えてもらってでも国家の大計として進めなければならないならば、リーダーにはそういうメッセージを発してほしい

■永守重信 日本電産社長
民主党政権は自民党政権よりも経済政策への経験が乏しく、知識がないのに、政治主導なる叫びの下で素人的な経済運営をしてきたといわざるをえない
現在の超円高や世界的に高すぎる法人税、厳しい労働規制などの放置が企業の競争力を大幅に低下させた
復興税と称して所得税や法人税を引き上げる増税策は、経営者の意欲を低下させるだけではなく、企業の国際競争力を低下させかねない
野田政権では経済状況が好転することはないとみている
今やるべきなのは、行政の無駄の削減に真剣に取り組むこと、直接税と間接税のバランスを取るためにも景気回復時には消費税をあげることを明言し、それを担保にした一時的な赤字国債発行で経済活性化を図ることだ
その意味で企業の国際競争力を回復させるための法人税率の引き下げは当然必要だろう
労働規制の緩和やTPPなどによる自由貿易も待ったなしである

■原田永幸 日本マクドナルドCEO
「成長なくして財政再建はない。財政再建なくして成長はない。」
五人の候補者の中で野田氏だけがこの点を明確に主張していた
将来の成長のための真の政策を語ろうとしていたと思う
日本の今後を語ろうとしていたと思う
日本の今後を真剣に考えている情熱を感じさせる人だ


2010年度の納税額の上位20社で、2010年度の海外売上高比率が7割以上の企業が、トヨタ自動車など6社ある
3〜5割の企業は7社
合計するとNTTなど海外売上高比率が10%未満で開示していない内需企業の数より多い
もちろん全額を日本で払っているわけではないので、海外に出なければ日本の税収はさらに増えるとの指摘もあるだろう
さらに、海外での納税額が日本を上回ったとしても、利益が国内に還流すれば、それは日本経済の活性化につながる
実際にそれが起きている
6兆3000億円、3兆1000億円
前者が2009年度の国の法人税収だ
リーマンショックのあおりで前の年度から4兆円近くも減った
2010年度は9兆円近くまで回復したが、それでも20兆円近くあったバブル経済崩壊前と比べるとほぼ半分の水準だ
一方の後者は、配当金の形で海外から国内に還流した利益
多くが日本企業の海外現地法人が現地で稼ぎ、日本本社に送金した額だ
2000年代前半は1兆円前後で推移していたが、ここ数年は法人税収の落ち込みと反比例する形で、右肩上がりで増えている
かつては海外で得た利益を国内に還流させる場合、日本の法人税率が課された
このためりえ現地での再投資にまわす比率が高かったが、2009年度税制改正で日本本社が現地法人などから配当金の形で受け取る収益の95%が非課税扱いとなった
これによって現地で再投資にまわるカネは大幅に減り、還流額が急増した

海外展開を加速するほど現地でそれを担う日本人社員が必要となるのは、どの産業にも当てはまる
開いた拠点の数だけ雇用も増える
もっとも、海外への本格進出を確実に雇用確保、雇用増に繋げるにはどうしても避けて通れない道がある
それは、日本人社員をグローバルで通用する人材に育て上げることだ

柳井社長は、日本を食べさせていくのは、グローバル化した企業とグローバル化した日本人と力説する
企業と人が両輪となって動き出せば、日本は空洞化の弊害を乗り越えられる


企業と人材の海外進出に加えて、個人金融資産が出稼ぎに動き始めた時、日本経済は新たな時代を迎える
海外での投資収益を最大化し、それが国内に還流することで日本全体が潤う、出稼ぎ立国の到来だ
そして、その際の指標となるのが、GNP(国民総生産)だ
GNPを見ても日本が世界第三位であることは変わらない
ただ、GDPでみた日本経済が人口減などの要因から成長余地が限られるのに対して、GNPには成長の可能性がある
そこに指標として再評価する理由がある
GDPにはモノやサービスの輸出から輸入を差し引いた純輸出は含まれるが、国内に還流した企業の海外利益は含まれない
同様に、金融機関や家計が海外に投資した証券投資収益も含まれていない
つまり、所得収支が含まれない
それは、これまで空洞化の恩恵として触れてきた要素が、カウントされないということを意味する
ところが、日本の場合は2005年以降、所得収支が貿易収支を一貫して上回っている
これは、GDPに含まれる純輸出より、GDPに含まれない海外からの純所得がより重要になったことを示唆している
日本はすでに貿易立国だった時代を終え、海外に投資して海外で稼ぐ出稼ぎ立国の時代を迎えていたわけだ
かつて最も重要だったGNPが、GDPにその座を譲り渡したのは1993年のこと
当時は海外での企業活動と国内景気の連動性が低く、GDPに海外からの純所得を上乗せしたGNPでは国内の景気動向を読み誤る恐れがあったためだ
しかし、経済のグローバル化が急速に進んだ今日、国内の経済活動だけを見ていては逆に経済の実力を過小評価することにもなりかねない
日本をGNPでみれば、空洞化こそが経済の牽引役となり得るということだ
企業も人もマネーも海外へその流れを止めることができないすれば、海外で儲けない手はない
GNPを増やす
日本の生きる道はそこにある

■花崎淑夫 ルミネ会長
桐生(群馬)の絹織物、尾州(愛知)の毛織物、北陸の合繊
日本では、こうした伝統的な繊維の産地が絶滅の危機に瀕しています
各社が安さを求めて中国に生産拠点を移した結果、現在では日本のアパレル商品の9割以上が中国で生産されています
アパレル各社は、日本国内の製造工場に仕事を依頼するときにも、中国と同じ条件を求める
これでは産地が疲弊するのも当然です
その点、欧米系の高級ブランドは日本のアパレル各社以上に、日本の産地を勉強しています
必要な素材はその良さを理解した上で、相応の価格で注文しているのですから

当然、小売業もお手伝いをすべきです
なぜこの価格なのか、どうやって作られたのかを説明して、お客様に満足して買ってもらう
今の消費者は、価値のある商品にはお金を払います
川中、川下が一体となって日本の繊維産地を支える
ファッション業界は今、転換期を迎えています

チーズはどこへ消えた スペンサージョンソン

チーズはどこへ消えた


2人の小人、2匹のネズミはチーズをみつける

2人の小人は、
少しゆっくり起き、ゆっくり服を着て、歩いてチーズステーションに向かうようになった
そこにチーズがあるのが当然のことになっていた
「これだけあればずっと大丈夫だ」しあわせになり、うまくいったことを喜び、自分たちは安泰だと思った
そのチーズを自分たちのものだとかんがえるようになった
チーズは大量にあったので、そこに引っ越し、そこで社会生活を築いた
「ぼくらはそれだけのことをしたんだ」「実際、長いこと勤勉に働いたし、これを見つけるのは大変だったもの」
やがて2人は慢心するようになった
安心しきって、知らないうちに何かが進行していることに気付きもしなかった
一方、ネズミたちの日課は変わらなかった
毎朝ネズミステーションにつくと、あたりの匂いをかぎ、ひっかき、走りまわって、なにか前日と変わったことはないか調べた
それから腰をおろして、チーズをかじった
ところが、ある朝、いってみるとチーズがなかった
ネズミたちはおどろかなかった
置いてあるチーズが毎日だんだん小さくなっているのに気づいていたので、いずれなくなるだろうと覚悟していたし、どうすればいいかは本能でわかっていた
ネズミたちは事態を詳しい分析はしなかった
彼らにとっては、問題もはっきりしていた
チーズステーションの状況が変わったのだ
だから、自分たちも変わることにした
新しいチーズを探しに出かけたのである

同じ日、小人2人はのんびりとチーズステーションにやってきた
2人は毎日小さな変化が起きていることに注意を払わなかったから、いつも通りチーズがあるものと思っていた
ヘムは、顔を紅潮させ、大声でわめいた
ホーは、ショックで凍りついたまま、立ちつくした

2人にとっては、毎日食べるチーズがあるということ以上の意味があった
チーズを見つけることは、幸せになるのに必要なものを手に入れることだった
チーズを見つけることは、物質的に豊かになることだという人もいた
精神的な充実感を得ることだという人もいた
ホーにとっては、安心していられることであり、いつか愛する家族を持つことであり、居心地のいい家に住むことだった
ヘムにとっては、人の上に立つ有力者になることであり、カマンベール丘の上に邸宅を構えることだった

小人2人にとってチーズは重要だったから、これからどうすればいいか決めるのに長い時間がかかった
しかし、考えついたのは、チーズステーションをよく調べて本当にチーズがなくなったのかどうか確かめることだけだった
2人は、酷い目にあわされたと、しきりにわめき散らした

ホーは壁にこう書いた
「自分のチーズが大事であればあるほどそれにしがみつきたがる」

2人の小人がどうすればいいか相談している間に、2匹のネズミは着々と作業を進めていた
迷路の奥まで入り込み、通路を行ったり来たりして、見つけられるかぎりのチーズステーションでチーズを探した

2人の小人は、きっとチーズは近くにあると考え、ノミとハンマーをふるい、壁に穴を開け、中を覗きこんだが、チーズはなかった
2人はがっかりしたが、諦めなかった
朝早くから作業にとりかかり、遅くまでがんばった
しかし、穴が大きくなっただけだった
ホーは勤勉に働いても成果が上がるとは限らないことがわかってきた

ホーは自分たちがどんどん不利になっていくのを悟った
ついにある日、自分をあざ笑いたくなった
「ホー、おまえは何をしてるんだ。繰り返し同じことしかしないでおいて、事態が好転しないのを不思議がるなんて。ほんとにどうかしてる」
だが、もう一度迷路を走りまわる気が進まなかった
きっと道に迷ってしまうだろうし、どこにチーズがあるか皆目検討がつかなかったから

ホーがランニングのしたくをしているのを見て、ヘムがいった
「本当にまた迷路に出かけるつもりなのか?なぜチーズが戻ってくるのを待たないんだ」
「戻ってこないからだよ」ホーは言った
「そうは思いたくなかったけれど、もうあの古いチーズが戻ってくることはないってことがやっとわかったんだ。あれはもう過去のものだ。新しいチーズを見つけるべきなんだよ」

ホーは想像してみた。笑みを浮かべ、思い切って迷路へ入っていく自分を。
その姿には自分でも驚いたが、気分が良かった
ときには道に迷うだろうが、最後には新しいチーズが見つかるに違いないと思った
そうなれば他にもいろいろといいことが起こるだろう
彼は勇気を奮いおこした
それから、想像力を働かせて、新しいチーズを見つけて味わっているところを思い描いた
できるだけ現実的で細かいところまで

ホーは言った「ねえ、ヘム、物事は変わることがあるし、決して同じことにはならない。あのころと一緒だよ、ヘム。それが人生だ!人生は進んでいく。僕らも進まなくてはならない」
ヘムは不安が怒りに変わり、耳を貸そうとしなかった

出かける用意ができると、彼はいっそう元気が出てきた
ようやく自分を笑う余裕ができ、見切りをつけて、先に進むことができるのだ

ホーは壁に書きつけた
「変わらなければ破滅することになる」

ホーは思った、ヘムは「チーズはどこへ消えた?」と考えているが、自分が思うのは「なぜすぐに立ち上がり、チーズを探さなかったんだろう?」ということだ

迷路に足を踏み出したホーは、今までいた場所を振り返って思った
あそこは居心地がよかったなあ
彼はいっそう不安になった
本当に自分は迷路に入っていきたいのだろうか
壁に書いた
「もし恐怖がなかったら何をするだろう」
考えてみた
恐怖が役立つこともある
このままでいたら事態はますます悪化するという恐怖にかられたら、嫌でも行動を起こすだろう
だか一方、恐怖のあまり何もできなくなることもある

目的を達成するためには長い時間がかかるだろうし、もっと苦しいこともあるだろう
もし再びチャンスを掴むことができなかったら、すぐになじんだ所を出て、変化に適応しよう
そのほうがずっといいはずだ
「遅れをとっても、何もしないよりはいい」

ホーは改めて振り返ってみて、チーズステーションのチーズは一夜にして消えてしまったわけではないことを悟った
チーズはどんどん小さくなり、残りも次第に古びて、もうおいしくなくなっていた
これからはもっと注意しようと思った
変化ぎ起きるのを予想し、変化を求めるのだ
いつ変化が起きるか本能的に感じ取り、それに適応する準備をするのだ

ホーは暗い小路を見やり、恐怖を感じた
先になにがあるのだろうか?なにもないのか?それどころか、危険が待ち構えているのではないか?
ありとあらゆる恐ろしいことが頭に浮かんだ。死ぬほど怖かった
それから、彼は苦笑いした
恐怖のせいで悪いほうに考えるのだと思った
そこで、もし恐怖がなければすることをした
新しい方向に進んだのである
暗い小路に飛び込んでいったとき、彼は笑みを浮かべていた
自分では気づいていなかったが、心をみたしてくれるものを見いだしたのだ
自分でも意外だったが、ホーはどんどん愉快な気持ちになっていったまもなく気分のいい理由がわかった
ホーは壁に書いた
「恐怖を乗り越えれば楽な気持ちになる」
ホーは恐怖に囚われていたのを悟った
新しい方向に踏み出したことで、解放されたのだ
そこには爽やかな風が吹いていて、爽快な気分になった
恐怖がなくなると、想像以上に楽しくなるのがわかる
ホーは事態がいどそうよくなるように、もう一度心の中でイメージした
自分の好きなあらゆるチーズの山に囲まれた自分の姿を、細かいところまで思い描いたのだ
新しいチーズのイメージが明瞭になればなるほど、現実味をおびてきて、きっと見つかるという気がしてきた
また書きつけた
「まだ新しいチーズが見つかっていなくてもそのチーズを楽しんでいる自分を想像すればそれが実現する」

ホーは、失ったものではなく手に入るもののことを考え続けた
どうして変化は何かもっと悪いことをもたらすなどと思っていたんだろう
変化はもっといいものをもたらしてくれるのに
「なぜもっと早くこうしなかったんだろう?」彼は思った

壁に書いた
「古いチーズに早く見切りをつければそれだけ早くチーズが見つかる」

「チーズがないままでいるより迷路に出て探したほうが安全だ」
ホーは改めて思った
人が恐れている事態は、実際は想像するほど悪くはないのだ
自分の心の中につくりあげている恐怖のほうが、現実よりずっとひどいのだ
彼自身、新しいチーズが見つからないのではないかという恐怖から、探しに出かけようという気にすらなれなかった
しかし、出かけてみると、先に進むのに必要なチーズは見つけることができた
いまは、もっと見つかると予測しているし、先のことを考えるだけで、胸がおどる
以前はチーズを持っていかれてしまうなんて間違っている、変化は間違っていると思っていた
いまは、予期していようといまいと、つねに変化が起きるのは自然なことだとわかった
変化に驚くのは、予期したり期待したりしていないからだ
ホーは壁にかいた
「従来どおりの考え方をしていては新しいチーズは見つからない」
彼は、新しい考えが新しい行動に駆り立ててくれることがわかっていた
人は考えを変えると、行動がかわるのだ
変化は害を与えるものだと考え、それに抗う人もいる
すべて、どう考えるかにかかっているのだ
壁にこう書いた
「新しいチーズを見つけることができ、それを楽しむことができるとわかれば人は進路を変える」

ホーは、もっと早く変化に対応し、もっと前にチーズステーションを出ていれば、いまごろはいろんなことがもっと好転していただろうと思った
実際、変化を予期していれば、いまごろは新しいチーズをみつけていただろう
なのに、変化が起きたことを認めようとしないまま時間を浪費していたのだ
壁に書いた
「早い時期に小さな変化に気づけばやがて訪れる大きな変化にうまく適応できる」
ホーは過去を捨て去り、いまは現在に適応していた
いっそう力強く速いスピードで迷路を進んでいった

前進することに関して、仲間のネズミたちから有益ならことを学んだ
彼らにとって人生は常に単純だ
事態をどこまでも分析しようとして、物事を複雑にしたりはしなかった
状況がかわってチーズがどこかへ消えてしまうと、自分たちも変わってチーズを探しに出かけたのだ

これまで犯した過ちを振り返り、将来の計画に生かそうと思った
人は常に変化に対応することができるようになるのだ。それは、
物事を簡潔に捉え、柔軟な態度で、すばやく行動すること
問題を複雑にし過ぎないこと。恐ろしいことばかり考えて我を失ってはいけない
小さな変化に気づくこと、そうすれば、やがて訪れる大きな変化にうまく備えることができる
変化に早く適応すること。遅れれば、適応できなくなるかもしれない
最大の障害は自分自身の中にある。自分がかわらなければ好転しない

おそらくもっとも大事なことは、つねに新しいチーズがどこにあるかということだ
そして恐怖を乗り越え、冒険を楽しむなら、報いはあるということだ
確かに恐怖をおろそかにしてはいけない場合もある
本当に危険なことから遠ざけてくれることがあるからだ
だが、ホーが抱いていた恐怖の大部分が理屈にあわないもので、そのために変わるべきときに変わることができなかったのだ

ホーは、ヘムと一緒にチーズステーションにいたときからみるとずいぶん遠くまできたものだと思った
だが、安心しきっていると簡単に事態が悪化することもわかっていた
毎日チーズステーションを点検し、自分のチーズの状態を確認した
予期せぬ変化に驚くことがないよう、できることはなんでもするつもりだ
チーズはたくさんあったが、ホーはしばしば迷路に出て行き、新しいエリアを探索して、常に周囲で起きていることに注意していた
どんな選択肢があるのか知っていた方が、居心地のいい自分の居場所に閉じこもっているより安全だとわかっていたからだ

柳井正 ファーストリテイリング社長兼会長 東洋経済 インタビュー

■柳井正
http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/8b63cc7b1925911647e367f7298b3035


「(当社は)十回やれば九回失敗している。この失敗に蓋をするのではなく、財産ととらえて次に生かすのである」。

 ヒートテックの初年度(03年)は百数十万点。当初から評判はよかったが、よちよち歩きの出発だった。ところが、柳井が社長に復帰した05年は450万点に拡大。次の年は3倍の1200万点、その2年後にまた倍増。フリースの記録(2600万点)をあっさり塗り替え、09年には5000万点を売り切った。
 やってダメなら、反省し、すぐ撤退。いけるとなったら、とことん畳みかける。柳井の戦法である。自ら「10年間で最大のイベント」と振り返るニューヨーク(NY)・ソーホー店も、この戦法だった。
 実は、ユニクロはNYでも失敗している。最初は、NY郊外のショッピングセンターに3店出した。さっぱり売れない。当時、米国本社はソーホー地区にあった。本社近くの倉庫を借り、在庫の処分セールを打ったら、これが売れた。
 あ、僕が出るのはここだ。「でかい店を作ったら、ものすごく売れるかもしれないな」。表がスポーツ店、裏が配送センターという1000坪の物件があった。見た瞬間、決めた。

■2
http://www.toyokeizai.net/business/interview/detail/AC/bc46a870e93f35affaff5c66541845fa

「事業をやる人はみんな金持ちになりたい人。その意味で、事業の一つの到達点。だし、経営者はみんな、いい経営者と言われたい」

柳井が日本で認める小売企業は一つしかない。「セブン&アイグループ。唯一、生き残る経営をやってきた」。現場に通暁した創業者・伊藤雅俊。現場にはいっさい顔を出さず、状況を客観化し戦略を練る鈴木敏文。対極の2人のコンビネーションがセブン&アイの今を作り上げた。柳井の中には、いわば、伊藤と鈴木が同時にいる。
 「僕がセブン&アイの経営者だったら、そして、本当に発展しようと思ったら、セブンイレブン以外は全部売るか整理する。セブンイレブンはグローバルに展開できるブランド。効率を考えれば、それが一番」。
 鈴木がやろうとして到底できない選択だろう。

 ドラッカーは本質を書く。それが可能なのは、自著『傍観者の時代』にあるように、「傍観者」だったから。オーストリア帝国の崩壊、大恐慌、共産主義、ファシズムの台頭という大激動の中で醒めていた。あえて距離を置くから、見えてくる。
 柳井も熱くならない。つねに、クールに状況を客観化する自分がいる。生まれついての性分もあるが、このスタンスは読書で鍛えられた。
 ちょっと前まで、新幹線で眠りこけるサラリーマンを見ると思った。「こいつら、何で寝るのか。もったいない」。暇があれば読書。読むのは主に、経営者が書いた本だ。「この経営者は本当は、何を考えているのか。彼はこうしたが、自分ならどうするか」。著者と対話することによって、相手も自分も客観化する。より本質的に考える癖がついた。
 だから、同じスタンスのドラッカーがストンと落ちる。とりわけ『イノベーションと起業家精神』に教えられた。ドラッカーは書く。「霊感や天才によるイノベーションは、二度と行うことはできない。目的意識、分析、体系によるイノベーションだけが、論ずるに値する」。

 商品でもマーケティングでも、重要事項は細目に至るまで全部目を通す。「これ、違う。変えてくれ」。柳井は「経営は砂上の楼閣」と思っている。「一瞬でも気を抜いたら、そのとき、全部が崩れる」。
 「オレがオレが」と突出する人間も許さない。「一定の部分で優れているからといって、全部を自分勝手にする。そんなこと許されない。能力があっても、自己主張だけでチームプレーができない人はいらないですよ。いらないよ、そんな社員」。

 10年前のインタビューで、柳井は「先生」を3人挙げた。松下幸之助、本田宗一郎、父親である。
 幸之助は一事業部長の山下俊彦に全権を委ねた。宗一郎は片腕の副社長・藤沢武夫とともに一線を引き、キレイさっぱり若手に後を託した。
 そして父親。父の洋服屋を継いで間もなく、大半の店員に愛想を尽かされ、逃げられた柳井に、父は会社の通帳と実印を手渡した。そこから経営者・柳井の歩みが始まった。

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