2014年07月

バカボンド37巻

◼︎バカボンド37巻
自分だけのものと考えているなら命に価値はない

自らがここにいる理由はだれかが命をつないでくれたから

弱い者の見えておらぬ今のうちに出ていけ
ここにいたら闘えなくなる



道をひらく 松下幸之助

◼︎道をひらく 松下幸之助

きょうはきのうの如く、あすもきょうの如く、十年一日の如き形式に堕したとき、その人の進歩はとまる

進みもよし、とどまるもよし
要はまず断を下すことである
みずから断を下すことである
それが最善の道であるかどうかは、神ならぬ身、はかりしれないものがあるにしても、断を下さないことが、自他共に好ましくないことだけは明らかである


自分がこうしたいと思うことを人に命じて、その命のままに自在に人が動くということは、事を運ぶうえにおいて、きわめて大事なことではあるけれど、命になれて、いつのまにか命がなければ人が動かないということになっては、これは大変
こんな硬直した姿では、進歩も発展も生まれないであろう

納得のうえに立って、断固、命を下さなければならない
命を受ける人に納得があるということは、その人の知恵がそれだけ高まったということである
わけのわからぬままに命に従わせていたのでは硬直する
命を下すということは、本当はそんな容易なことではないのである


100%正しい判断なんてまずできるものではない
60%の見通しと確信ができたならば、その判断はおおむね妥当とみるべきであろう
そのあとは勇気である。実行力である
いかに適確な判断をしても、それを成し遂げる勇気と実行力がなかったなら、その判断は何の意味も持たない
勇気と実行力とが、60%の判断で100%の確実な成果を生み出してゆくのである


一部の人のちょっとした心得違いからいろいろの問題が引き起こされていることを思えば、眼前の小利にとらわれるなと、何度も何度も繰り返していいたくもなってくる


何事においても策なしというのが一番いいのである
策なしということの真意を正しく体得して、はからいを越え、思いを越えて、それを自然の姿でふるまいにあらわすには、それだけのいわば悟りと修練がいるのではなかろうか


私心にとらわれることのない働き


いわば人生の脅威ともいうべきものを懸命にそしてひたすらに乗り切って、刻々と事なきをえてゆくというところに、人間としての大きな生きがいをおぼえ、人生の深い味わいを感じるということが大事なのである
心配や憂いは新しくものを考え出す一つの転機ではないか、そう思い直して、正々堂々とこれと取り組む。力を振り絞る。知恵をしぼる。
するとそこから必ず、思いもかけぬ新しいものが生み出されてくるのである
新しい道がひらけてくるのである


何事をなすにも時というものがある
たくわえられた力がなければ、時がきても事は成就しないであろう
時の来るを信じて、着々とわが力をたくわえるがよい
着々とわが力をたくわえる人には、時は必ず来る
時期は必ず来る


いっさい何の不安もなく、危険もなければ心配もなく、したがって苦心する必要もなければ努力する必要もない、そんな境遇に憧れることがしばしばある
しかしはたしてその境遇から力強い生きがいが生まれるだろうか
やはり次々と困難に直面し、右すべきか左すべきかの不安な岐路にたちつつも、あらゆる力を傾け、生命をかけてそれを切り抜けてゆく
そこにこそ人間として一番充実した張りのある生活があるともいえよう
困難に心が弱くなった時、こういうこともまた考えたい


人生には、困難なこと、難儀なこと、苦しいこと、つらいこと、いろいろとある
そんなときに、どう考えるか、どう処置するか、それによって、その人の幸不幸、飛躍か後退かが決まると言える
困ったことだ、どうしよう、どうしようもない、そう考え出せば、心が次第にせまくなり、せっかくの出る知恵も出せなくなる
とどのつまりは、原因も責任もすべて他に転嫁して、不満で心が暗くなり、不平でわが身を傷つける
困難を困難とせず、思いを新たに、決意を固く歩めば、困難がかえって飛躍の土台石となるのである
要は考え方である
決意である
困っても困らないことである


いい考えを持ち、真剣な努力を重ねても、なかなかにこれが世間に認められないときがある
そんなときには、ともすると世間が冷たく感じられ、自分は孤独だと考え、希望を失いがちとなる
だが悲観することはない
めくらが1000人いれば目明きもまた1000人いるのである
世間は厳しくもあり、暖かくもある
だから、世間に対しては、いつも謙虚さを忘れず、また希望を失わず、着実に力強く自分の道を歩むように心がけたいものである


仕事を勝負と心得る人と心得ない人との違いが、ハッキリとあらわれてくるときではなかろうか


百の事を行って、一つだけが成ったとしたら、これははたして失敗か成功か
多くの場合、事の成らない九十九に力を落とし、すべてを失敗なりとして、悲観し意欲を失い、再びその事を試みなくなる
こうなればまさに失敗である

どちらに目を向けるか
一つに希望を持つか、九十九に失望するか
失敗か成功かの分かれ目が、こんなところにもある
繁栄への一つの道しるべでもあろう


確信ありげに見えても、本当は手さぐりの人生で、まことにつつましやかなものである
たよりないといえば頼りないかもしれないが、持てもしない絶対の確信に酔うよりも、この心構えで謙虚に歩む方が、結局は最良の道になるのではなかろうか


苦難がくればそれもよし、順調ならばさらによし、そんな思いで安易に流れず、凡に堕さず、いずれのときにも心を定め、思いにあふれて、人一倍の知恵を絞り、人一倍の働きを積み重ねてゆきたいものである


無作法は困るけれど、窮屈はなおいけない
やっぱり伸び伸びとした自由自在な姿が欲しいものである

万物は日に新たである
刻々と変わってゆく
今日は、もはや昨日の姿ではない
だから我々も、今日の新しいものの見方を生み出してゆかねばならない


努力もせずに濡れ手でアワみたいなことをやってみても、それは虫がよすぎるというもの
一時はそれで過ごせても、決して長続きはしない
結局は失敗ということになる
これが、ものの道理であって、この道理を外れた望みを持つというのは、それこそ欲が深いというものである
欲が深いは失敗のもと
やはり、ものの道理に適した道を、一歩一歩歩んでいきたい


人より一時間、よけいに働くことは尊い
努力である
勤勉である
だが、今までよりも一時間少なく働いて、今まで以上の成果をあげることも、また尊い
働くことは尊いが、その働きに工夫が欲しいのである
創意がほしいのである
額に汗することを称えるのもいいが、額に汗のない涼しい姿も称えるべきであろう
楽々と働いて、なお素晴らしい成果があげられる働き方を、お互いにもっと工夫したいというのである


何事をするにも、けじめが一番大切で、けじめのない暮らしはだらしがない
暮らしがだらしなければ働けない
よい知恵も生まれないし、ものも失う
商売も同じこと
経営も同じこと
けじめをつけない経営は、いつかはどこかで破綻する
景気のよいときはまだよいが、不景気になればたちまち崩れる
立派な土手もアリの穴から崩れるように、大きな商売も、ちょっとしたけじめのゆるみから崩れる
だから、常日頃から、小さいことにもけじめをつけて、キチンとした心がけを持ちたいもの


数字という形で、目に見えて来るものもある
しかし、目に見えない旗のほうがはるかに多いであろう
その見えない旗を見極めて、毎日の成果を慎重に検討してゆくところに、仕事の真の成長があり、毎日の尊い累積がある


人が仕事をする
その仕事をする心がけとして、大事なことはいろいろあろうけれども、やっぱり一番大事なことは、誠実あふれる熱意ではあるまいか
知識も大事、才能も大事
しかし、それがなければ、ほんとうに仕事ができないというものでもない
たとえ知識乏しく、才能が劣っていても、なんとかしてこの仕事をやりとげよう、なんとしてでもこの仕事をやり遂げたい、そういう誠実な熱意にあふれていたならば、そこから必ずよい仕事が生まれてくる
その人の手によって直接に出来なくとも、その人の誠実な熱意が目に見えない力となって、自然に周囲の人を引きつける

熱意なき人は描ける餅の如し
知識も才能も、熱意がなければ無に等しいのである
お互いに一生懸命、精魂込めて毎日の仕事に打ち込みたい


道はいくつもある
時と場合に応じて、自在に道を変えればよいのである
一つの道に執すれば無理が出る
無理を通そうとするとゆきづまる
動かない山を動かそうとするからである
そんなときは、山はそのままに身軽に自分の身体を動かせば、またそこに新しい道が開けてくる
なにごともゆきづまれば、まず自分のものの見方を変えることである


勝負というのものには、勝ち負けの他に、勝ち方、負け方というその内容が大きな問題となるのである
ただ成果をあげさえすればいいんだというわけで、他の迷惑もかえりみず、しゃにむに進むということであれば、その事業は社会的に何らかの存在意義も持たないことになる
だから、事業の場合も、やっぱりその成果の内容
つまり、いかに正しい方法で成果をあげるかということが、大きな問題になるわけである
むつかしいことかもしれないが、世の中の人々が、みんな共々に繁栄してゆくためには、このむつかしいことに、やはり成功しなければならないと思うのである


値段は同じであっても、客を大事にしてくれる店、まごころこもった親切な店には、人は自然と寄り付いてゆく


なんでもないことだが、このなんでもないことがなんでもなくやれるには、やはりかなりの修練が要るのである
平凡が非凡に通ずるというのも、この何でもないと思われることを、なんでもなく平凡に積み重ねてゆくところから、生まれてくるのではなかろうか


己が正しいと思い込めば、それに異を唱える人は万事正しくないことになる
己が正義で、相手は不正義なのである
いわば敵なのである
だから憎くなる
倒したくなる
絶滅したくなる

倒すだけが能ではない
敵がなければ教えもない
従って進歩もない
だからむしろその対立は対立のままに認めて、たがいに教え教えられつつ、進歩向上する道を求めたいのである
つまり対立しつつ調和する道を求めたいのである
それが自然の理というものである
共存の理というものである
そしてそれが繁栄の理なのである


三べん事を画して、三べんとも成功したら、これはちょっと危険である
そこからその人に自信が生まれ確信が生じて、それがやがては「俺に任せておけ」と胸をたたくようになったら、もう手のつけようがない
謙虚さがなくなって他人の意見も耳に入らぬ
こんな危険なことはない
もちろん自信は必要である
自信がなくて事を画するようなら、はじめからやらないほうがいい

人間というものは、ちょっとの成功にも、たやすく絶対の確信を持ちたがる
だから、どんなえらい人でも、三度に一度は失敗したほうが身のためになりそうである
そしてその失敗を、謙虚さに生まれ変わらせたほうが、人間が伸びる


なんとしても二階に上がりたい
どうしても二階に上がろう
この熱意がハシゴを思いつかす
階段をつくりあげる
上がっても上がらなくても、そう考えている人の頭からは、ハシゴは出てこない
才能がハシゴを作るのではない
やはり熱意である


人が人に事を命じる
指示する。頼む。
しかし、命じっぱなし、指示しっぱなし、頼みっぱなしでは、なんの意味もない。なんの成果も上がらない
命じたからには、これを追求しなければならなぬ
どこまでもトコトン追求しなければならぬ
それが命じた者の責任ある態度というものであろう


獅子は我が子をわざと谷底に落とす
はい上がる中で、はじめて自立を会得する
他に依存せず、みずからの力で歩むことの大事さを、みずからの身体でさとる
つまり自得するのである
自得するには、厳しさがいる。勇気がいる。ときには泣き出したいような、途方に暮れるようなこともあろう
泣くもよし。嘆くもよし
厳しさこそ、自得への第一歩ではないか


人はとかく、つまずいたその原因を、他人に押し付けて自分も他人も不愉快になる場合が多いから、やはり虫のいいことは、なるべく考えないほうがいい
自分の言動をはたして虫のいいことを考えていないかどうかを反省してみたいものである


人間というものはまことに勝手なもので、自分がどんなに恵まれた境遇にあるか、ということには案外、きのつかないことが多い
だからちょっとしたことにも、すぐに不平が出るし不満を持つのだが、不平や不満の心から、よい知恵も才覚もわきそうなはずがない
そんなことから、せっかく恵まれた自分の境遇も、これを自覚したままに、いつのまにか自分の手で壊してしまいがちである
自分は恵まれているということを、直接、自分の心にひびかすために、日常の立居振舞に、今一度の反省を加えてみよう


自分の地位や立場にあぐらをかいて、仕事の本来の使命を忘れ、自分自身のことにとらわれて、なすべきこともなさぬようなことがあったとしたら邪魔や迷惑ですまなくなる
与えられた仕事が進まないだけでなく、周囲の働きを遅らせて、ひいては社会の発展をも阻害することになる
人それぞれの地位や役割というものは、それぞれに担当している仕事を、周囲の人々と相協力して、より速やかに、より高く進歩させ充実させてゆくことによって、社会の発展、人みなの繁栄に資するために与えられているのである
お互いに自分の仕事を、自分の役割を、もう一度よくかえりみたいものである


いついかなる変事にあおうとも、つねにそれに対処してゆけるように、かねて平時から備えておく心構えがほしいもの

仕事に没頭することである
一心不乱になることである
そして後生大事にこの仕事に打ち込むことである
そこからものが生まれずして、いったい、どこから生まれよう
力及ばぬことを嘆くより先に、まず、後生大事に仕事に取り組んでいるかどうかを反省したい


敗因われにありという悔いをお互いに残さないために、己を知る心がけを、いかなる場合も失いたくないものである


一生懸命にやっていたつもりでも、なにかのきっかけで、身にしみる思いをしたときには、いままでの一生懸命さが、まだまだ力足りぬことに気がつくことが多い
お互いにともかくも、きょう一日の仕事を続けている
ともかくも一生懸命であろう
しかし今一度、本当に身にしみる思いで、自分の仕事を振り返ってみたい


火事になれはわだれもが慌てる
大変な非常事態で、だからなりふりかまわず、他人の足を踏んででも、まず火を消さねばならぬ
物を持ち出さねばならぬ
人の助けも借りねばならぬ
非常の場合には、非常の措置もやむを得ないのである
生活は正常にかえったのに、非常に甘えた振る舞いや考え方が、なお根強く残ってはしないか
正常心にかえるためには大きな勇気がいる
勇気をもって反省してみたい
振り返ってみたい
そこに人としての道の始まりがあるといえよう


なんでもかんでも、悪いことはすべて他人のせいにしてしまったら、これほど気楽なことはないだろう
すべて責任は相手にあり、都合の悪いことは知らぬ存ぜぬである
理屈はどうにでもたてられる
責任を逃れる理屈は無数にあろう
また法律上は、無関係、責任なしということもあり得ることである
しかしこれは理屈や法律だけのこと
人と人とが相寄って暮らしているこの世の中、どんなことに対しても、自分は全く無関係、自分は全く無責任
そんなことはあり得ない
それぞれに深い自己反省と強い責任感が生まれなければならないであろう
すべてを他人のせいにしてしまいたいのは、人情の常ではあろうけれども、それは実は勇気なき姿である
心弱き姿である
お互いに一人前の社会人として、責任を知る深い反省心と大きな勇気を持ちたい


古来、どんなにすぐれた賢者でも、その幼い頃には、やはり父母や先輩の教えを受け、導きを受けてきた
その上に立っての賢者であって、これらの教え導きをがなかったら、せっかくの賢者のの素質も泥に埋れたままであったろう
教えずしては、なにものも生まれてはこないのである
教えるということは、後輩に対する先輩の、人間としての大事なつとめなのである
その大事なつとめを、お互いに毅然とした態度で、人間としての深い愛情と熱意を持って果たしているかどうか
教えることに、もっと熱意を持ちたい
そして、教えられることに、もっと謙虚でありたい
教えずしては、なにものも生まれてはこないのである


自分ひとりの頭で考え、自分ひとりの知恵で生み出したと思っていても、本当はすべてこれ他から教わったものである
教わらずして、学ばずして、人は何一つ考えられるものではない
今までの数多くの学びの上に立ってこその自分の考えなのである
自分の知恵なのである
語らぬ木石、流れる雲、無心の幼児、先輩のきびしい叱責、後輩の純情な忠言、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史、どんなに小さいことにでも、どんなに古いことにでも、宇宙の摂理、自然の理法がひそかに脈づいているのである
そしてまた、人間の尊い知恵と体験がにじんでいるのである
これらのすべてに学びたい
どんなことからも、どんな人からも、謙虚に素直に学びたい


朝起きたら顔を洗う
家の前をはいて水を打つ
しごく当たり前のこと
ものをもらえばありがとう
お世話になったらすみません
とりちらかしたら、あとかたづけ
別にむつかしい理屈も何もない
人間としてなすべき、もっとも平凡な、もっとも当たり前のことである
ところがこれに理屈がつく
手前勝手な理屈がつくと、いつのまにやらあとかたづけ不要
顔も洗わず水も打たず
平凡なことがなにやらむつかしいことになって、なにをすべきか右往左往
そんなことが、今日このごろはあまりにも多すぎはしないか
それもこれも、つまりは自分なりの都合の良い道を求めてのことであろうけれども、自他ともの真の繁栄の道は、本当はもっとも平凡なところにある
みんなが納得するしごく当たり前のところにある
もう一度考え直してみたい
もう一度素直な気持ちで考え直してみたい


ときにあやまち、ときに失敗する
それはそれでいいのだが、大切なことは、いついかなるときでも、その自分の非を素直に自覚し、これにいつでも殉ずるだけの、強い覚悟を持っているということである
昔の武士がいさぎよかったというのも、自分の非をいたずらに抗弁することなく、非を非として認め、素直に出処進退をはかったからで、ここに、修行のできた一人前の人間としての立派さが、うかがえるのである
自分の非を認め、いつでも、これに殉ずる
この心構えを、つねひごろからお互いに充分に養っておきたいものである

時代は変わった
人の考えも変わった
しかし信念に生きることの尊さには、少しも変わりはない
いや今日ほど、事をなす上において信念を持つことの尊さが痛感されるときはない
為政者に信念がなければ国は潰れる
経営者に信念がなければ事業は潰れる


どんな仕事でも、それはみんなが共存してゆくためにあるもので、一つ仕事は他の仕事につながり、それがつながって世の中が動いている
だから自分ひとりの都合だけで、その仕事を勝手に左右することは、みんな迷惑をかけ、道義的にも許されるわけがない
自分の仕事は自分のものであって、同時に自分のものではないのである


苦しい時の神頼みというけれど、おたがい人間、困って悩んでセッパつまれば、やはり思わず手を合わし、神仏に祈りたいような気持ちになってくる
人情としてこれもやむを得ないとはいうものの、それにしてもおたがいに、あまりにも求めすぎはしないか
頼みすぎはしないか
頼り過ぎはしないか
手を合わすという姿は、本当は神仏の前に己を正して、みずからのあやまちをより少なくすることを心に期するためである
頼むのではない
求めるのではない
求めずして、みずからを正す姿が、手を合わす真の敬虔な姿だと思う
これは別に神仏に限ったことではない
日々の暮らしの上でも、あまりにも他を頼み、他に求めすぎてはいないか
求めずして己を正す態度というものを今少し養ってみたい


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